漫画家・赤星たみこの日記です。 

by akaboshi_tamiko

映画しゃぼん玉と平家落人伝説

映画「しゃぼん玉」を見て、あんまり感動したので、追加記事。

この映画は、なんの予備知識もなく見ても問題なく面白く、感動するけど、平家の落人伝説を知ってみると、さらにいろんな想像が膨らむと思う。
映画の中でも説明はしてあるけど、これから見る人、すでに見た人、どちらでも平家の落人伝説を絡めるとより面白くなるかも、と思っている。

なぜ椎葉の民は平家の落人を受け入れたのか、なぜ大八郎は椎葉に残ったのか。
というようなことを、私なりに解釈した漫画を描きました。(以前、延岡市から頼まれた県北の神話と伝説を漫画にしたときのものです)
この解釈と、イズミが椎葉村に現れて、受け入れられるまでが重なるのだ。

椎葉村に伝わる平家伝説、読んでみてください。イズミと重なるところはまたあとで。
b0019674_01431437.jpg
b0019674_01440470.jpg
b0019674_01441354.jpg
b0019674_01442778.jpg
b0019674_01443225.jpg
b0019674_01444064.jpg
b0019674_01444967.jpg
椎葉村では、このように古い伝統を守り、それはただ単に文化の継承というだけでなく、環境を守ることにもつながっています(その話はまた違う項目で)。

ここからはネタバレあります。




追手から逃げてきた平家の落人をかくまったように、しゃぼん玉でも、椎葉村の人たちはイズミのいろんな過去をわかったうえでかくまってくれるんじゃないのかな…というような想像が、映画を見ながらふと浮かんだ。

かつて大八郎が「貧しい村」だと思い、山の暮らしの手伝いを始めたとき、それはどれだけ山人の生活に役立ったことか。椎葉の村人たちはどれだけ大八郎を頼りにしたか、離したくないと思ったか。
それがイズミと重なったのだ。

八百年以上の時を経て、今の山村は過疎と高齢化によって限界集落と呼ばれている。
その中で、若いイズミは働き手として、多大な感謝をもって受け入れられた。

イズミと大八郎は意外にも重なっている部分がある。
そう思うと、やっぱり、ここは椎葉村だし、大八郎が鶴富姫と結ばれるようにイズミもあの子と結ばれるのかな…
そして幸せに暮らすのだけど…。そのあと追手がくる…… なんて、大八郎のストーリーになぞらえながら映画を見てしまった。
結果的にこの見方は、とてもハラハラドキドキして、映画がより面白くなったような気がする。

そして、その追手は・・・・

おっと、これ以上書くと完全なネタバレになるのでやめておきます。

とにかく見てきて、そのあとでいろいろ話しましょう!! コメント欄に非公開で書いてくれてもいいですよ。FBのほうでもいいし!
よろしく~。



[PR]
by akaboshi_tamiko | 2017-03-18 02:14 | 読んだ観た聴いた | Trackback | Comments(4)
トラックバックURL : http://akaboshi.exblog.jp/tb/26725942
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by bumidayat at 2017-03-18 08:11
こんにちは、Sariです。
弥生人の一兵士が縄文の地を改革せよと命ぜられて、縄文人に出会ったときの情景を連想してしまいました。
縄文時代が14,000年も続いたのは、土地の開発などせずに神様からの恵みを大切に頂いて平等に暮らしていたからだと思います。
領土争いの必要もなく、戦いの概念もなかったと…だから平家の落人も自然に受け入れたような気がします。ってコジツケですかねw
Commented by akaboshi_tamiko at 2017-03-18 12:00
★Sariさん
私もまさに、同じことを思います。
山と川と大地と太陽の恵み、、、つまり神様からの恵みを大切に頂いて平和に暮らしていた狩猟採集民族(縄文人)だからこそ、他人でもすんなり受け入れたのだと思うんです。

人の心理として、そう考えるほうが自然な気がします。

「財産」や「領土」という概念を持つ人々から見ると貧しい生活かもしれないけど、平和で幸せな暮らしをしていたんじゃないかなあ…・
Commented by bumidayat at 2017-06-21 03:57
こんにちは、Sariです。

前回の放送延期、残念でしたね。録画予約を外し、今回はライブで見る予定です(^^)

また縄文系の話ですが、
画家の篠崎さんがブログに書いていました。
彼のご両親は昔「米はとれないけど魚と山の幸はたっぷりある」との友人の話から日南の大堂津へ移住したそうで、土地の人は縄文系でくっきりした顔立ちであると。
地図を見ると山に囲まれた海岸沿いのようですね。

また、梅原猛さんの本には、熊野は縄文が色濃く残っている土地で、
江戸時代半ばまで、主食は木の実をつぶして炊いていたと書かれています。
行くのに険しい土地柄に神秘性を感じたのでしょう、奈良平安の貴族たちがご利益を求めて通ったのも無理もないような。

縄文時代に魅力を感じ始めたのは、鹿島神宮の主神、タケミカヅチからです。
国譲りに借りだされ、戦わずして出雲族の制圧に成功し、後には星を崇める一族、天甕星(あまつみかぼし)の征伐も命じられ成功。(遣わしたタケハヅチはやり過ぎたようですが)
大国主の息子の一人は諏訪の縄文の国に逃れ諏訪大社となりましたよね。
タケミカヅチは早くにヤマトの弥生系に従った縄文の人だと思います。
だから縄文系の出雲国の制圧に向かわされたのではないかと。

佐伯は蝦夷・縄文の人を表すそうで、佐伯の真魚=空海もまた縄文系だったそうです。縄文時代の終りから約千年、体格優れた偉丈夫だったのはそのためだったのですね。

なーんてだらだら、すみません。自分のブログに書けばいいんですけど、甘えてしまいました。
Commented by akaboshi_tamiko at 2017-06-21 08:44
★Sariさま
コメントありがとうございます!
縄文時代の考証、私も漠然とですが同じようなことを思っていました。
こうやって文章にしていただけると、私もはっきりしてくるのでありがたいです。

縄文時代が長く続いたのは、まさに狩猟採集の生活だったからだと思います。その時代の食生活など、見習う点が多いなあと思ったり。今流行りの低糖質ダイエットは、結局縄文時代の食生活に似てますよね。