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PC再び

05/10/07/土曜
外見のことを話題にするのって、PC(ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさ)に反することが多い、ということを以前書きました(PCについて05年9月14日の日記です)。

自分で自分の外見を話題にするのもPC的にはよくないかもしれません。
でもねー、ちょっと今日は言ってみたい。どうなるかわからないけど。

最近、私の外見をあれこれ言われる機会がありました。
決してほめていない状況です。
(9月14日の件もそうだし、そのあとにも、実はいろいろありました。他の人と比べられたりとか。なんだかちょっぴり傷ついた48歳でした)

さて、外見のことをよく話題にする人たちって、どういう人なんだろう? と考えてみました。
ほめるのではなく、けなす系の話題にする人たちって、どうしてそんなことを軽く言えるのだろう、と考えたわけです。

私の結論が100%正しいわけではなく、私の思い込みもあるだろうし、まあ、こういう考えもあるかなぁ? 程度に聞いてください。

人の外見を平気でけなす人って、外見で悩んだことのない人ではないか、という気がします。
または、外見で悩んだことを乗り越えた人、かもしれません。

よく言うのが、「本当のブスに、ブスって言えないよ。ブスって軽く言えるのは、本当のブスじゃないから言えるんだよ」という言葉。

だからと言って、人をけなしていいとは思えないですけどね。

日本では、そういう「軽いけなし言葉」はコミュニケーションの一つだと思っている人たちがいます。「こいつブスなんだから~」「わはははは」
こういう会話を、明るく笑い飛ばすのが大人、ということになっています。

そういう会話でいちいち傷つくのは子ども,大人なら明るく受け流すのが正しい、とされています。

ま、確かに、ちょっとした言葉でいちいち傷つくのは大人っぽくはないと思うけど、21世紀のこのご時勢に外見のことをネタにするのもどうかと思う。しかも、外見をけなすって、、、。もっと他に有意義で楽しい話題はたくさんあると思うんだけど。
あえて外見ネタ、しかもけなす系。なぜそんなことを話題にするのかよくわからないなあ・・・。

でも、こういう人は、相手をけなしているつもりはなくて、外見のことを言われるとすごく傷つく人がいる、ということを知らないのだろうと思います。
多分、自分自身が、外見のことでトラウマになるほど悩んだことはない人たちだろうと思います。

まあ、たいていの人が、思春期には外見で悩むことがあったでしょう。
でも、それが本当にトラウマになるくらい悩んだのか、「もう少しきれいだったらいいのになあ」程度の悩みなのか、それは人それぞれ。

正直に告白すると、私は高校時代に太ってニキビだらけで眼鏡をかけたという体験から、今も「ニキビ」という言葉を口にするのがすごーーーくいやなくらい、ニキビに悩みました。トラウマ、と言ってもいいくらいです。

最近、大きな同窓会に出席したので、私の高校時代を知る人とたくさん会いました。
当時を知る人と会うと、100人中95人以上(99%くらいかな)が、「ニキビ治ったね、よかったね」と言います。30年前のことなのに、はっきりと覚えているくらい、私のニキビはひどかったんだなあ、と、せっかく忘れていたことをはっきり思い出してしまいます。

良かったね、というつもりで、ほめてくれているんだと思うんだけど、真っ先にそれを言われると、「そこしか言うことないくらい、ニキビの印象が強かったんだなあ・・・」と、思うわけですよ、こちらとしては。全然けなしてない、というのはわかるんだけど、でも、そればっか言われると・・・ねえ…。

言う人は一回だから全然悪気もないし、けなしてない、というのもよくわかります。
でも、聞く方は、何十回も聞くわけです。それくらい印象的なことなんだな、ということが繰り返し言われることによってさらに私に染み込んできます。

「赤星さん、といえば、ニキビだったよね」と言った人もいます。
これが一人二人なら、まだ気にならないんだけど、会う人ごとに言われると、さすがに、なんだか、こう、、、、。うんざり、というか、がっかり、というか、がっくり、というか、、、、。

30年たっても薄れないほど、赤星=ニキビ という図式が、私を知る人にはバッチリ植え付けられているくらいひどいニキビだったことを思い出し、当時の悩んでいたあの暗い気持ちがまざまざとよみがえるわけです。

確かに、町を歩いていると振り返って見られるくらい、顔中が赤くぶつぶつになっていた時期もありました。「なんでそんなにぶつぶつが出来てるの?」と無邪気に尋ねる子どももいたし、「なにか病気?」と聞かれたこともありましたねえ、そういえば。
まあ、トラウマになってもおかしくないくらいひどかった、とは言えるでしょう。

ニキビのこともすっかり忘れていたここ10数年でしたが、48歳にもなって、外見のことでうじうじ考えるなんて、思ってもみなかったことです。これがトラウマのなせる業というものでしょうか。

ある人に対して、印象的なこと、真っ先に思い浮かぶことは、他の人も同じように思いついていることだから、そのことを言うより、二番目三番目に思いつくことを話題にするほうが話が膨らむと思います。特にそのことが「外見」にかかわることだったら、本当に、その人は何度も何度も言われているでしょうね。

(Ex.背が高い、胸が大きい、手足が長い、彫が深い、鼻が高い、眉毛が濃い、誰それに似ていいる、などなど。一見ほめ言葉に聞こえることでも、何度も繰り返して言われることによって、言われた方はうんざりするし、外見上のことよりもっと他にないの?? と言う気持ちになることは必至)

人を見て、その人の外見に関して真っ先に思い浮かぶことは言わないのが無難。私も9月14日の日記に出たお兄さんの外見上の特徴○○”については、言わないほうが良かったと、反省しています。(普通なら言わないですけどね、その状態に関しては)

今日言いたかったのは、「私には」外見上のトラウマがあるから「私の」外見のことは話題にしないで、ということではありません。

「私」だけに限らず、全ての人と話をするとき、その人にトラウマがあろうがなかろうが、外見のことを真っ先に言うのはもうやめようよぉ、21世紀なんだし、もっと楽しくて有意義な話題はたくさんあるじゃないですかー、と言いたかったんですが、伝わったかなぁ・・・。
Commented by むむ at 2005-10-08 09:20 x
赤星先生、はじめまして。
あぁ~、読んでて泣きそうになりました。トラウマやコンプレックスって解放されないんですよね。蓋をしてしまいこんでも、むっくりとゾンビのように湧いてくる…。

私は髪の毛が悩み…すっごい天パなんです。あんど硬い多い太いの四重苦。台所のスチールタワシのよう(涙)
いじめ以上に傷づいたのは親の言葉。『性格が素直じゃないから髪までねじれるんだ』と。小さい頃は直毛で小学校三年頃から髪がだったので、真に受けて劣等感の塊に。しかし両親はこの言葉を覚えてすらいないんですよね。
43歳になっても縮毛矯正が止められません。癖が出てくると、我慢ができないっ! 友人は『病気』だからしかたがないよと笑ってくれますが、先に白髪をなんとかしたら?とも言います。でも、そっちは全然気にならないんですよ~。
好きになる有名人も髪が真っ直ぐな人(笑) 見合い相手の条件も「落ち武者になってもいいから直毛の人」とお願いしたことは語り草です。服装検査の話題で思い出し泣きをする自分が変な奴とわかっていても、涙は止まらないんです。きっと一生振り回されるのでしょう。はぁ。

つい、長々と書いてしまいました。ごめんなさい。
Commented by のり at 2005-10-08 11:48 x
先生のお気持ち、よく伝わりました。
外見のことは良いことも悪いことも不用意に言わないように気をつけていたつもりですが、もっともっと慎重にしなくてはと肝に命じました。
今までどれだけ不愉快なことを人にしてきたのだろうかと振り返っても思い出せませんが、それだけ無意識にやってしまっているってことでしょうね。


Commented by 黒豆 at 2005-10-08 16:06 x
小さいころから小さくて、「前へならえ」は前に手を伸ばしたことがない方でした(今でも、あんまり大きくはなってないけど(^^))。
で、子どものころは、からだのでかい連中に、ちびだの何だのさんざからかわれたりしておったわけですよ(まあ、今だったらいじめだ、と言うところでしょうが)。
「背の高いやつがうらやましい」と思わないではなかったですが(まあ、コンプレックスのひとつではあったでしょうね)、あるとき、本で哲学者だったか誰かのエピソードを読んだわけです。
その人は、片方の目が斜視だったのですが、ある日友だちに「手術をすればその目は治せるよ」と教えられたとき、彼はしばらく考えてからこう答えたというんですね。
「斜視であることも含めてぼくという存在だ。だから、治さないよ」
それを読んで、「ああ、そういうことか」と思ったわけです(その哲学者が、心からそう思ったのか、手術が恐かっただけなのかはしりませんよ(^^))。
それ以来、自分の容姿のことでコンプレックスを感じることはあまり(完全にとは言いません、二枚目やスタイルのいい男がうらやましいなとは思いますから(^^;)なくなりました。
Commented by 葉桜 at 2005-10-08 20:03 x
コンプレックスの素が外見じゃない場合もありますね。
持病を抱えている人の場合、その病気の程度が軽くて、日常生活を普通に行える場合は、周りにはあえて隠している場合がありますね。
以前は欠格事項といって、特定の障碍や疾病を抱えている人に資格取得の制限があったそうです。
「何で○○しないの」・「何で○○できないの」(「○○」には資格の名前が入ります)って聞くのも、外見のことをとやかく言うのと同じくらい場合によっては辛らつなことかもしれません。
Commented by akaboshi_tamiko at 2005-10-08 23:18
むむさん
お気持ちはよ~くわかります。切ないですよね。ご両親も言ったことは忘れているんでしょうねー。外見の悩みって、ほかの人には「小さなこと」だと受け止められることが多くて、理解してもらいにくいというのもまた悩みですよね。
外見のことで悩むなんて、それは小さなことなんだから悩まなくてもいいんだよ、という人もいます。でも、そんなことは百も承知の上で、それでも傷ついたり悩んだりしてしまうんですよね・・・。

Commented by akaboshi_tamiko at 2005-10-08 23:21
のりさん
ご自分の言動を振り返って、「それだけ無意識にやっていたんでしょうね」と言える人って、そんな人を傷つけるようなことは言ってないと思いますよ~。無意識に人を傷つけることがある、と言うことを知っている人は、注意深いと思いますから。私自身も、そういうところを考えてちゃんとしなくちゃ!と思いました。
Commented by akaboshi_tamiko at 2005-10-08 23:24
黒豆さん
自分の欠点も受け入れるって、大切ですよね・・・。外見上のことは「不潔に見えなければなんでもOK」と思うようになってからは、すっかりコンプレックスも消えていたと思っていたんですけどねー。
外見のことは、言わないほうが無難ですね。
Commented by akaboshi_tamiko at 2005-10-08 23:29
葉桜さん
外見のことや、障碍がある無しにかかわらず、資格を取るかとらないかというプラバシーにかかわることは、言わないのが無難ですねー。
世の中にはもっといろんな話題があるんですものね。とりあえず、地球温暖化の話とか、小泉チルドレンの話とか、岡村がゴルフ歴一週間で佐倉ちゃんに勝った話とか。(バラエティの話しです。努力する岡村はちょっとかっこよかったし)
by akaboshi_tamiko | 2005-10-08 04:02 | Trackback | Comments(8)