「ほっ」と。キャンペーン

漫画家・赤星たみこの日記です。 

by akaboshi_tamiko

<   2010年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧

ダジャレ23区&都下

昨夜、ツイッターで、「今日は荒川区でエコの講演でした。荒川区は洗濯物が「あら乾く」。誰もが得をする「みな得」に並んでいい感じの区名です~。」とつぶやいたところ、このダジャレに反応した方、けっこう多し。

23区全部ダジャレ作りたいところですが、昨夜はさすがに全部は出ず、途中で終わりました。
とりあえずまとめてみると。
(ちょいと七五調にして、標語っぽくしてみました)

・洗濯物があら乾く(荒川区) 
・誰もが儲かるみな得(港区) 
・ラブラブな人、チュー多く(中央区)
  
・心技体優れた人に、勝つ資格(葛飾区) 
・付和雷同で、すぐなびく(杉並区) 
・マルキューなう、とつぶやく(渋谷区)
 
・みんな平等、対等区(台東区) 
・祭りの夜は、練り歩く(練馬区)
・若さに負けるな、年増食う(豊島区)

あと、今頭を絞って考えたのが
・墨汁をたっぷりつけて、墨ダク(墨田区)・・・「つゆダク」のように。これから「墨痕淋漓」は「墨ダク」と言ってもいいかも。
・何を食べても、お~うめ~(青梅市) 
・夫婦二人で、子がねーし(小金井市)(←これはけっこう有名ダジャレ。宮本武蔵と佐々木小次郎のどちらに子孫がいるか? 武蔵、子がねい、(武蔵小金井)というのもあり)

・追い討ちをかけるように、それみたか(三鷹市)
・都知事選、難しいから「ひがし来るめえ」(東久留米市)

おはよう、おくたま!(奥様) 、、、、、う~~ん、どんどん苦しくなっていくわ。なにか面白いもの、皆さん考えてくださいませ~~(-人-)

追加です~。
・みんなで一緒にさあ帰宅(北区)
・みつばちハッチは蜂王子(八王子)
・「美味しいご飯は炭炊く(墨田区)のよ!」「はい、奥多摩、おかずは?」「もちろん鯛と食う(台東区)わ」
負うた子(大田区)に教えられて、あたちく(足立区)やしいわ!

都外ですが・・・
・なぁに~~~?! やっちまった(八街)なあ! 

みなさん、強引ぐまいうえい です。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-28 17:26 | 仕事 | Trackback | Comments(2)

団地、集合住宅、集落

「団地」と言うと、光ヶ丘団地のような、マンション(集合住宅)が建ち並ぶ地域を思い浮かべる人が多い。
でも、「団地」とは、大辞泉によると「住宅を計画的集団的に建てた区域」のこと。つまり、マンションだけでなく、一戸建ての家が建ち並ぶ区域も指す。

これは、地方在住の人にはけっこうなじみのある言葉だ。
私の家が建っている地域も、周りは一戸建てばかりだが、ここも「○○団地」と呼ばれている。

住宅だけでなく、工場や特定の業種を計画的・集団的に建てた区域に、「工業団地」「流通団地」などがある。千葉県内を車で走っていると、「○○工業団地」という標識をよく見かける。

地方に住んでいると、団地とはマンションが集団で建っている場所だけではない、ということが体験としてわかってくる。

でも、都心に住んでいる友達に、私の住んでいる場所を説明するとき「○○団地」と言うと、みんなマンション群だと思うので、車で来るとき迷ってしまう。

迷わせないようにしようと思って「集落」という言葉を使ったことがある。「集落」のイメージは一戸建ての家が複数建っている場所、だと思う。

集落も団地も民家が複数建っている場所なんだけど、イメージ的には密度が違う。

「集落」は「村落」とほぼ重複する、と辞書にあった。

団地は民家が「計画的、集団的に建てられた区域」で、計画的・集団的だけあって、高密度

村落は、昔からの地域で、計画的に作られたわけではない。過疎となり、人口密度の低いところが多くなった。山のふもとに民家が点在する、という風景を思い浮かべる人が多いだろう。

団地は、山を切り崩して宅地を造成して、民家がぎっしり並んでいる場所、と言うとイメージが沸くと思う。

私の住んでいる地域はまさにそういうところだ。村でも集落でもなく、団地なんだけどなあ…。なかなか伝わらない…。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-28 02:38 | 言葉 | Trackback | Comments(3)

美術とエコ

私の書く日記のエコ関連記事には、すぐにレスがつく。ブログやミクシーだけでなく、新聞の連載エッセイにもすぐにレスがつく。私はやっぱり「エコの人」だとみなされているんだなあ、と思う。

しかし、私は本業は漫画家で、美術ネタの日記もよく書く。しかし、こちらにはなかなかレスがつかない。なぜだろう、私はどちらも同じくらいわかりやすく書いていると思うのだけど。

ある人は、「美術関連だと、高尚な感じがするので、くだらないことを書くと恥ずかしい、と思うんじゃない?」と言う。 「知識に自信がないと恥ずかしいのでは?」というご意見もあった。

だけど、どんなものでも、知識に自信がないと恥ずかしく感じるものだ。 私だって数学者と数学の話しをしようとは思わないし、そんな記事にコメント欄があっても付けられない。でも、美術の分野だと、好きか嫌いかだけで話が出来るのに…。 (てゆーか、私自身、そんなに知識無いから。たいていはちょこっと聞きかじったことの受け売りとか、その程度だ)

知識が無くても話は出来る、それが美術だと思うのだけど。「これは好き、こっちは嫌い。これはエッチな感じ、これは全然欲情しない」とか、そんな風な感じでいいのになぁ。

もちろん知識があったほうがより楽しめる場合もある。だけど、無くても楽しめるのが美術なのだ。知識がないと楽しめない分野の美術も確かにある。だけどそんなのは「なんでこの作者はこれを描いたのだろう?」という疑問をぶつければいいのだ。疑問を呈することも、コメントの一つになるのに、その疑問すらもなかなかつかない。

しかし、エコのほうは違う。すぐコメントがつく。みんな楽しげにコメントを付けてくれる。疑問点を聞いてくるコメントもある。

楽しげなコメントも、疑問のコメントも、とにかくすぐつくのは、私の書くエコ話は、身近で誰もが思い当たる節があるネタが多いからだと思う。
掃除はこれこれこうすれば効率的で、環境にいいですよ、とか。料理はこうすれば美味しくて省エネになりますよ、という生活に根ざしたネタがメイン。

やっぱり、美術は生活に根ざしていないのかもしれない。「必需品」では無いのかも。
ドラマとか、漫画とか、そういうものもアートの一つの分野だと思うけど、そっちはすぐコメントがついたり、話題がもりあがったりする。それはやっぱりそのドラマや漫画が身近なのだ。

絵画や彫刻になると、急に【身近感】が消えるのは、教科書で教わったからかも?

教科書に出てくるような言葉で美術を語ると、確かに遠くなるなぁ・・・。
これが美術教育の弊害の一つてやつ?
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-24 02:50 | アート系 | Trackback | Comments(5)
先日、川村記念美術館へ行ってきた。
(この日記、10月5日に書いていたのにアップしてなかったので、今アップします~)
バーネット・ニューマン展をやっている。
b0019674_20423422.jpg

アンナの光  1968年 アクリル、カンヴァス 276.0 x 611.0cm
大きなキャンバスに塗られた赤い色。
左右に白い縦線、、というかスキマというか、白いスペースがある。
「これがあることによって、赤い色が左右から分断されて、赤い四角がはっきりとわかるのです」と、学芸員の方が観客に説明していた。

うーん、キャンバスの大きさと形だけで表現するのではダメなのか。そうか、ダメなのね、と思った。

キャンバスというものは有限のスペースではなくて、無限の広がりを出すことが出来る道具なのだし。(一枚のキャンバスに宇宙とか大海原とか描くと、それはそのキャンバスの面積だけではなく、広いスペースをそこに表現しているわけだから)

キャンバスを全部塗ってしまうと、それは無限の広がりを持ってしまう。だから、あえて左右に「 」鍵括弧みたいな白いスペースを入れて、自分が意識した大きさ、スペースを表現したのかな。

b0019674_20431090.jpg

原初の光 1954年 油彩、カンヴァス
タイトルが「原初の光」と来ると、宮崎出身の私としては、天岩戸に隠れた天照大神がまた出てきたときの光、というのを思い出す。岩の隙間から外に出てくる「光」だ。

襖を開けたときの隙間からもれてくる「光」とか、雨戸の隙間から入ってくる光とか、日本人の「光」のイメージは、隙間から漏れてくるもの、という気がする。

この「原初の光」は、黒い壁が立っていて、その後ろから光が出ているようで、おお、これはまるで『2001年宇宙の旅』のモノリスのようではないか!
西洋の「光」と言ったら「後光」なのかもしれない。後ろからはみ出てくる光。日本と「光」の受け止め方が違うように感じた。

さて、川村記念美術館で他にもいろいろたくさん見たのだが、その感想はちょっと言いにくい。(だって一緒に見に行った眠子さんが「あ、赤星さ~~ん」と私を止めたくらいの話なのだ。(私的には何も問題なかったのだけど・・・ちょっとえげつないかもしれない)

まあ、そういうところはおいといて、われわれは美術館内にある茶室でお抹茶と和菓子のセットをいただき、外を散策した。
b0019674_20453971.jpg

外の散策路をにて。萩の葉が可愛い。

b0019674_2046221.jpg

トンボが飛んできて夫の手に止まった。

そんなのどかな散歩を続けているうちに、ベンチの置いてあるパーゴラ発見。その下の地面に敷いてある、あれはなんて言うんだろう? 雑草がぼうぼう生えないように、歩く人が泥まみれにならないように敷いてあるプラスチックのシート。丸い穴がたくさん空いているシート。
それを見ると、まるで草間彌生の作品のよう!!
b0019674_20471017.jpg

イヤ、実際、草間彌生の本物の作品と比べてみても
b0019674_20473289.jpg

ほら、丸いものが延々と続く作風、遜色ないでしょ!?
さすが川村記念美術館! 外の休憩所の地面にまで美術作品を惜しげもなく敷き詰めるなんて!! な~んて、またも叔母か、いや、おバカなことを考えながら帰ってきたのでした。

気持ちのいい、一日でした。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-20 20:48 | アート系 | Trackback | Comments(0)
先日行った竹橋の近代美術館。
ここは館内で写真撮影が出来るという、日本では稀有な美術館だ。一階受付で申請し、ストロボや三脚を使わない、などの注意を受け、許可の印のステッカーを肩に貼ってらえば撮影OK。なんと素晴らしい!

それから、ここでは所蔵品の解説ツアーが毎日行われているのだ。午後2時から3時まで。知らなかった~。

ガイドの方はボランティアで、それぞれ自分がテーマを作って作品を3点ほど選び、解説をしてくれるとのこと。
この日は「こだわり」というテーマで、尾竹竹坡の「おとづれ」、梅原龍三郎の「ナルシス」、安井曽太郎の「安倍能成像」の三つの絵を解説していただいた。

まず、尾竹竹坡の「おとづれ」から見に行った。
b0019674_4111465.jpg

とても美しい屏風絵で、私はこの絵が大好きだ。

ガイドさんは、この絵と、隣に展示してあった菊池契月の「供燈(くとう)」と比較して解説してくれた。
「尾竹の絵は、屏風絵にしなくてもいいと思いませんか? 隣の菊池契月の絵は、屏風という特質を生かした構図で、屏風絵ならではの構成になっています」と言うのだ。
b0019674_4124374.jpg

菊池契月「供燈」

屏風は、絵が折れ曲がっているので、出っ張ったところ、引っ込んだところががある。
「契月の絵では女性の手が出っ張ったほうに向けて描いてあるので、手が前に出て見えるので、遠近感がよく出ます」と、ガイドさん。

えええええ~~~?
私はこの意見には大いに異議を唱えたい。(実際は黙ってたけど)

屏風の出っ張りに合わせて手を描いた、だから手が前に出て見える。
そこまではよしとしよう。
だから遠近感がよく出ます、というのは違うと思う。

屏風の特質をよく知って遠近感を出すのであれば、右側の柱を女性達の後ろに配置すべきではないのか?
そのほうが、柱がより引っ込んで見えるはずだ。

はい、ちょいとやってみました。
b0019674_4134183.jpg

柱を奥に、女性たちを手前にしてみました。
ほら、このほうが柱が奥に引っ込んで見えるでしょう?
こっちのほうが屏風の特質が生きるし、遠近感が出ると思うのだけど。

でも、そもそもこの絵は左側の平重盛が大きすぎないか?
右側の女性達より後ろにいるはずなのに、すごく大きく描いてある。 遠近感より、権威を出したかったのかもしれないけれど。

こういう描き方って、アカデミックな絵画教育には必ず出てくる方法論だと思う。前に出るものは屏風の出っ張ったほうに向けて描くと良い、貴族を描くときは大きく描くと権威が出る、など。

ガイドの方の解説によると、当時(1910年頃)の画壇では、契月の絵のほうが尾竹竹坡より受け入れられていたらしい。
それは、尾竹が貧しくてアカデミックな教育を受けていないので、画壇の受けが悪かった、ということも話してくれた。

その話を聞いて、私は「尾竹竹坡、アカデミックな教育を受けていないからこそ、常識的な方法論を使わず、淡々と絵を描いたのではないか? と思った。

尾竹竹坡は、性格的にちょっとくせのある人だったそうで、それで嫌われたということもあるだろうが、常識的な方法論を使わなかったところも、嫌われた理由の一つなのかもしれない。
なんてね、わからないけどね。
b0019674_414553.jpg

でも、これなんて↑↑屏風が奥に引っ込む方向に向けて人物が配置してあるので、進んでいる感じがする。
お供の子供たちは逆に出っ張っているほうに向っている。でも顔がきょろきょろしているので、それもまたこちらに向ってくる感じがして、これはこれで屏風の特質を生かしているように思えるのだけど。
b0019674_4152159.jpg

精密な菊やススキや竹の表現も、着物の柄のようで私にはとても好ましかった。

と、他の作品の話に行く前に力尽きた。
他の作品はまた後日。(下世話な話も、また後日。お楽しみに~)
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-19 04:15 | アート系 | Trackback | Comments(0)
東京国立近代美術館で上村松園展が開催されていた。
12月12日までやっていると思い込んで、今日、行ってきたら、、、なんと終わってた…。12月12日までは、京都の美術館だった。東京では10月中に終わってたのだった。がっかり。

上村松園がなぜ好きかというと、やはりこれは着物、なのだ。
明治、大正、昭和初期の日本画を見ると、着物の女性が普通に出てくる。この絵に出てくる人物の着こなしを見るのが好きなのだ。

明治時代の人は、日常着として着物を着ているから、構造がよくわかっている。だから、袂のシワの寄り方、布の折り目の描きかたが正確。それに、最近の着物雑誌の写真と違って、ちゃんと日常のゆるい着こなしがそのまま描かれているから、きっちりシワ一つ無い着方とは全然違う。

着物を着ている人がちゃんと動いている、働いている。そういうのを見るのが好きなのだ。

伊東深水、鏑木清方の絵に出てくる着物の女性もステキ。だけど、現代の着物雑誌の写真と違って、やっぱり胸元とかゆるい着こなしが多い。
着物の柄もまた今とは違う感覚のものが多い。

絵画を鑑賞するというより、昔の着物事情を見に行く、と言う感じ。

そんなつもりだったから、麻生三郎はまったく違うジャンルで、がっかりしたのだった。(麻生三郎が悪いわけじゃない、私の意気込みが滑っただけ)

麻生三郎展には、いろいろな感想を持ったけれど、それより常設展がよかった。常設展で見た、ある肖像画に隠された男性の秘密、これは明日、ミクシーでマイミク限定で書きましょう! だって、しっかり全部書くとワイセツなんですもの~~。
そして、アカデミズムに毒されなかったある絵画と、毒された絵画の違い。
そんなことを、明日書きますので、お楽しみに~。
(肝心の部分はミクシーで書いてみて、ワイセツじゃないと判断されたらこちらにも転載しますね)
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-17 00:33 | アート系 | Trackback | Comments(6)

秋の蚊

昨夜、眠っている間に足と手を蚊に刺された。
午前2時と4時に二度もかゆみで目が覚めて、キンカンでなんとかしのいだけれど、痒くて痒くて、今日は一日中ずっと手と足をかいていた。

秋の蚊に刺されるとなんでこんなに痒くなるんだろう?
秋まで生き残っている蚊は生命力が強くて、唾液の量も多いのかも? (かゆみ成分は蚊の唾液に含まれているということだから)

今年の夏はものすごく暑くて、あまりの暑さに蚊も孵化しなくて、気温が多少下がった秋口に大量発生するかも、というニュースを見かけたのだけど、うちではホントその通りになった。夏より秋になってからのほうが蚊がたくさん出てくる。

11月中旬なのに、蚊取り線香を焚いている。ストーブもつけているのに蚊取り線香の香り。夏の臭いと冬の匂いが同居している。
それにしても手のひらが痒いのはつらい…。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-15 23:12 | Trackback | Comments(5)

着物de初めてのお茶会

茶道というのはまったくやったことが無くて、テレビで見たことがあるくらい。
そんな私が、姪がやっている茶道の催しに招かれて、姉と一緒にお茶会に行ってきた。着物はお誂えの付け下げ。ちゃんと自分のサイズに合った着物を着るのは久しぶり。帯もヘンに凝らず、普通の着こなしを心がけた。

だって、姪が先生についてお稽古していて、そのお茶会に誘われたので、姪に恥をかかせていはイカン、と思って。お作法がダメなのだから、せめて着るものくらいは普通にね。

さて、今日行ったお茶会は、これもお茶会なのか、ちゃんとした名称はよくわからない。高田馬場の茶道会館というところでやっているお茶の会に出席して、何もわからないまま部屋の前で正座して待ち、襖が開くと前の人のやることを見よう見まねでにじり寄って入り、前の人がやったとおりにお菓子をいただきお茶を飲んで、言われるままに部屋の掛け軸などを見た。

終わった後、私の前にいていろいろ教えてくれた方たちと庭でちょっと話しをした。
「お着物、きれいに着てらっしゃるわねえ」と褒めていただき、「お茶はもう長くやってらっしゃるの?」と聞かれた。「まったく、生まれて初めてなんです」と答えると、「あら、でも、お着物きれいにきてらっしゃるじゃないの」と。

ふふ、今回、私は姉にちゃんとチェックを受けたから! 姉はお茶はやってないけれど、着付け師だし。
姉が最後にチェックしてくれて、「まー、なんて格好のいい帯!」と太鼓判を押してくれたから着付けには不安が無く、堂々と出来たのだ。

「いえ、私、お茶はまったくやったことないですけど、着物は、休みの日はほとんど着てます」と言うと、驚いていた。お茶をやっている方たちは、「着物をちゃんと着ている、イコール、お茶を習っている人」と思っているみたい。

そういえば、私と友達数人がときどき着物で出かけて、美術館やカフェや初詣に行くと、たいてい「お茶の会かなにかですか?」と聞かれるから、やっぱり着物と茶道はワンセットなんだな、と思う。

茶道会館に集う老若女の着物は、本当に、正統派だった。お茶会には「きちんとした着物」=「よそ行き」が必要なのだと思う。でも、私は普段、「日常着」としての着物を着ている。「着物で10時間座りっぱなしで原稿描いてときどき胡坐かいたりごろ寝もする」と言うと、きっと驚かれるだろうな…。毎日、いかにラクに着るか、いかに締め付けないか、いかに堅苦しくない印象をあたえるか、ということを考えて着ているのだ。

でも、そんなラフでラクな着こなしを心がけているけれど、たまにはこういうキチンとした着付けもいいものだと思った。気持ちが引き締まるし、正絹の着物は秋のこの時期、ほんのり暖かく、寒くも無く、とても着心地がよかった。

だけど、正絹の着物はツルツル滑る、ということに気付いた。(しばらく着てなかったからなあ)
普段着ている硬いウールの着物は全然滑らないので着崩れしにくいのでラクチンだった。正絹、大変~~~。

それと、古着の着物は自分のサイズより小さいので、腰紐を結ぶ位置がお臍の上というモノもある。これが実はラクなんだよなー。ちゃんとしたサイズでウエストのあたりで腰紐を結ぶと、けっこう食い込んでつらいのだ。ああ、体がすっかり古着体質。いいのか、悪いのか? 私って、徹頭徹尾、お金かからないように出来ているんだなあ。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-14 23:32 | キモノ | Trackback | Comments(3)

着物de江戸東京博物館

マイミクのタミコさん、レディ紫さん、すぃろっちさんと一緒に江戸東京博物館へ行ってきました~。
まず、11時半に両国のちゃんこ屋さんで食事。
私は鶏塩ちゃんこ。スープが美味い!!
b0019674_0304914.jpg


そのあと江戸東京博物館へ。
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

特別展は「隅田川~江戸が愛した風景」で、館が20年以上かけて集めた隅田川の絵を一挙公開。いや~、浮世絵、日本画、屏風絵、巻物、版画、銅版画、カラクリ絵など、本当にすごかった!

浮世絵(木版画)は、やっぱり髪の毛の生え際がすごい! 1ミリの間に2~3本の筋を彫るその彫りの技術!
それだけではない、刷りの技術もすごい!
紙の隅に三角形のしるしをつけて、それにあわせて版木を置くようにしたことから版ズレの無いきれいな刷りができるようになった、という、その△がこれ。↓↓
b0019674_0315881.jpg


鈴木春信のおかげです。

カラクリ絵とか、すごかった。風景の描いてある紙の、花火や提灯の部分をくりぬき、裏に赤い紙を貼り、裏から光を当てて花火や提灯を光らせるというもの。月なんか明るいときはわからないのに、暗くして裏から光を当てると月が出てくるというしかけ。見世物小屋などで使われたカラクリだそうで、ものすごく細かい細工に驚嘆。図録を買いたかったけど、重いので諦めた。それが心残り。

そのあと、常設展を見に行き、今回はボランティアのガイドさんを頼んでみました。
b0019674_0322830.jpg

縞の着物の方がガイドさん。われわれが着物だったので、ガイドの方も「じゃあ、着物の私が」と言って解説をしてくださって、とてもおもしろかった。
普段、英語でガイドすることが多いらしく、説明に詰まると英語が出てくるというガイドさんだった。
b0019674_033565.jpg

両国橋の模型。江戸時代、ものすごく栄えた場所だ。その説明も面白かった。

b0019674_0355198.jpg

町火消しの様子を写真に撮る。着物姿だと絵になるわねぇ~。

b0019674_0363820.jpg

昭和ゾーンに行き、お座敷に入ってみる。

b0019674_036592.jpg

お座敷でおすまし。

b0019674_0373990.jpg

昭和のラジオを聴く。

b0019674_038273.jpg

昭和の廊下を歩く。

b0019674_0382026.jpg

リンタクに乗るわたくし。おほほほ。外国のお客様も私にカメラを向けていましたわ。

b0019674_0383374.jpg

リンタクに乗るタミコさん。

b0019674_0384893.jpg

私の一番好きな車スバル360 

b0019674_039757.jpg

三井越前屋の模型。着物を売ってるけど店内には無くて、裏の土蔵に入れてあったので、火事になっても大丈夫、という防火対策のしっかりした店。さすが三越。

b0019674_0402079.jpg

将軍謁見の間。段々になっていて、身分の高さを床の高さでも表している。天井も凝っている。
こんな家に住んでみたいわ~、とタミコさん(私じゃないほうの)。
掃除どうするのよ~、と、貧乏臭いことを考える私。

b0019674_0422276.jpg

ショップにあった布巾。お土産にいいなあ。(買わなかったけど)

などなどいろいろ見て面白い一日でした!
あ~、面白かった!
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-14 00:43 | キモノ | Trackback | Comments(2)
お米の消費量が減り続け、なかなか伸びない。なぜか。

いろいろな理由があるだろうけれど、たくさんある理由の中の一つに、私は「炊飯器の臭い」があると思う。

今、うちでは炊飯器をやめて鍋で炊いている。炊飯器で炊いていたときより格段に美味しい。冷めても美味しい。いやな臭いがしない。
炊飯器をやめて鍋で炊き始めたころ、あまりの美味しさに、うちではお米の消費量が倍増した。本当に、倍にになった。

炊飯器で炊いていたころは別に不満は無かった。普通に美味しく食べていた。でも、保温したご飯は、蓋を開けるとかすかにプンと臭うのだった。口に入れると、激不味ではないけれど、「保温したご飯の味」がした。それもまあ、特に不満というわけでもなく、「ま、こんなもんだよね。すぐ食べきらなかった私が悪い」と思って、炊飯器のせいにはしていなかった。

ところが、鍋で炊くと、炊き立ての美味しさはもちろん、冷めても美味しいのだ。冷やご飯が冷やご飯として美味しいのだ、ホント。電子レンジでチンしてもまた美味しいけれど、冷たくても美味しいって、「なんだこれ!? 美味いじゃん!!」と思った。

炊飯器で炊いていたころは、ときどきご飯を炊くのが面倒になると、「ま、パンでもいいか~」と思った。「美味しいパンはホント美味しいから、ご飯よりいいよね」と思ったこともある。

確かに、美味しいパンはちょっと不味いご飯より断然美味い。でも今は、ちょっと不味いご飯ではないのだ。
ものすごく美味しいご飯は、普通のパンより断然美味しい。これはまあ好みにもよるのだけれど。(ものすごく美味しいパンとものすごく美味しいご飯、これは優劣付けがたい。というか、優劣つけるものではないし)

昔(25年ほど前かな)、友達に聞いたことがあって、真偽のほどはわからないのだけど、インテリの友達が言うには、「歴史的に見て、今まで米食が小麦食に負けたことは無いんだよ」と。
米と小麦が両方取れるところでは、米食のほうが美味しいから、圧倒的に米食有利になるのだ、というのが友達の話だった。

さらに、水田は表土流出も無いし、農業システムとして小麦生産より優れているから、食べる人がちゃんと入れば米生産者も増えるのだ、とその友達は言っていた・・・(と、はるかな記憶にある)。

それなのに、日本の米消費量が減っているのは、食べる人が減っているのは、米の本当の美味しさが損なわれているからではないか。本当に美味しいお米を食べたら、もっと食べたいと思うはずなのに、そう思わなくなったというのは、本来の美味しさが子供たちに伝わってないのでは・・・?

幼稚園児の子供が二人いる友達の家では、鍋でご飯を炊くようになったら、子供たちのご飯を食べる量が増えたと言っている。うちもそうだし、臭わないご飯は本当に美味しい。

ご飯をいつでも炊き立ての熱々にしておいて、いつでも美味しく食べてもらいたい、という理由で「保温機能」がついたのだろうけれど、その「保温機能」が、お米の消費量を減らしている一因かもしれない。

うちでは確実にその保温機能が米の消費量を減らした最大の要因だった。万人に当てはまる話ではないけれど、ま、そういうこともあるかも? ってことでよろしく。
[PR]
by akaboshi_tamiko | 2010-11-12 04:56 | 飲む食べる | Trackback | Comments(4)