ピアニストと画家
アメリカのテキサスで4年に一度開かれる「バン・クライバーン国際コンクール」で、日本時間の8日に優勝したのは、20歳の辻井さんです。
決勝戦には6人が残っていましたが、辻井さんはショパンのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲2番を演奏し、優勝を決めました。 (後略)
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このニュース、テレビで何度も見ましたが、必ず「目の不自由な」という言葉がついてきます。上記ニュースにもついていましたが、私が取りました。なくても十分いいニュースだし、内容もちゃんと伝わるでしょ?
でも、メディア側は必ずつけて報道します。
目が見える人は楽譜を目で見て、耳で音を聴いて曲を覚える。その時間よりはるかに長い時間をかけて耳で曲を覚えるのは、並大抵の苦労ではなく、目が見える人よりも多くの努力が必要だ、すごいよね、その努力は賞賛に値するよね、という思いで報道してしまうのだと思う。
だけど、ご本人は「そこを必ず言われる」というのはきっと好きではないと思う。
先日、画家の安達巌(いわお)さんの半生をテレビで紹介していたのだが、この方は緻密な風景画を描き、いろいろな賞を受賞している、プロの画家だ。
緻密な画風で、どれだけの時間をかけたのか、繊細で、また力強い筆のタッチがすばらしいと思った。
でも、検索すると、そういう紹介の仕方はほとんどされてなくて、「両手を事故で失っているので、口に筆をくわえて描いている画家」という紹介のされ方が多かった。
ご本人は、どんなにいい絵を描いて受賞しても、新聞に記事が載っても、必ず「口で描いた」といわれるのが悔しかったそうだ。
絵や音楽、漫画や小説もそうだけど、書いた本人、演奏した本人、描いた本人がどういう人かはあまり関係ないと思う。作品をそのまま見て、そのまま感じればいいのだと思う。
作品から感じた感動をそのまま評価すればいいのに。
障害も、その人の数ある個性の一つと捉えればいいのに・・と思わずにいられません。
辻井さんだって「目が見えないから」優勝したわけではないのに・・・
素直に演奏を楽しむだけでいいと思うんですよね。まあ、並外れた努力をしたことは確かですから、それを賞賛する意味で、一度は報道してもいいと思うんですが、毎回毎回言われるのはきついですよね。
★ダニエル&ボブさん
素直に感動して、それをそのまま評価できればいいですよね。こちらの審美眼も問われるわけですが…。
しかし逆の見かたもあると思います。
(不本意であったとしても)「障害をもっている」ということを宣伝されたからこそ世の中に名前が出た方もいらっしゃるのも事実です。
そして、それでもなお実力がなければすたれていくはずです。次に話題になる人は沢山ひかえていますので。
それに「がんばってる話」は励まされることも多いです。他の障害持った方にとっても「障害持っててもあきらめなくていいんだ」と希望をもってもらえる可能性があります。
なので、こういった報道も悪いことばかりではないかと。
ただ、本当に実力があることを認知されてる場合は、いちいち障害のことを言うのは失礼ですよね。
全盲や色盲でなければ世襲で医者になっていたのかな?
無論、絶対音感だけではなく手業や感性等もないと演奏家として聴衆達を感動させる事は出来ないが。。。
★まめさかなさん
本当に実力のある方だから、最近は「盲目の」とか言わなくなりましたね。
(*^_^*)
★くまくまさん
才能って、音感、センス、手の大きさ、しなやかさ、器用さ、そういうものすべてがうまく作用し、それをまた努力で高めるところが、才能なんでしょうね。