制服は人権侵害?
制服を強制されるのは人権侵害、と主張していた日本の高校生と支持者がスイスで開催された国際子供人権会議に乗り込んだ。そこでこう言われた。
「ここで話し合われているのは学校に行けない子供の人権保護だ。君達はそんな立派な制服を着られて学校に通い、そしてスイスまで来ている。幸せだとは思わないか?」
ソースはどこかわからないのだけど、ツイッターの元つぶやきはこれです。↓
amiens Latest: "制服を強制されるのは人権侵害、と主張していた日本の高校生と支持者がスイスで開催された国際子供人権会議に乗り込んだ。そこでこう言われた。..." http://tumblr.com/xjn6m5qfz
追記
この話はつい最近の話というより、10年ほど前の話が元ネタだそうです。
(最近また同じことがあった、というソースはまだ発見してません)
今なぜこれが話題になっているのかは謎ですが、「個性」と「服装」の関係を考える上で面白いと思っています。
ミクシーにも同じ記事を書いているのですが、そちらにもいろいろなコメントが付きました。
制服を嫌がる人は、着るもので個性を出したいと考えている人たちだと思います。着るものを統一されると個性がなくなる、という考えだったりするのでしょう。
私は着るものでなくなるような個性は、本当の個性じゃないんじゃないの?と思っています。
個性って、一生かけて追求するようなものだと思っています。服装が同じでもにじみ出てくるものが個性だったりするのではないかと思います。
昔、私が子供の頃、制服廃止運動が広まって、全国で制服のない学校がいくつか誕生しました。その学校が20~40年経って、女子高生の可愛い制服ブームに乗って、制服を復活させて欲しいと訴える学校も出てきたところもあるそうです。制服が征服の象徴だった時代もあったでしょうが、ファッションの一つととらえることが出来るほど、今の日本は平和になっているなあと思います。
制服が人権侵害になるというのなら、例えば、制服廃止運動をした生徒が、学校にそむいたというような理由で何らかの制裁を受けたり、制裁処置として学校だけでなく家でもずっと制服を着ろと強要されたりしたら、それは人権侵害に当たるかもしれない。
または、性同一性障害の方が、自分の内面の性別と違うほうの制服を着せられるのも、今の時代では人権侵害に当たるのかもしれません。


ググってみると、2000年頃にも、同じようなことがあったらしいのですが(こっちは、国連で訴えた、という話になってるけど)…、同じようなことがまたあったのか、それとも昔の話の蒸し返しなのか?
昔の話だとしたら、何故今ごろ?

制服がいやでたまらない人もいると思うんですが、そのことをスイスまで訴えにいけるというのは、日本に住んでいる幸せですね。
私が高校生のころ、制服廃止運動が全国で広がって、制服を廃止した学校とか出てきましたが、そういう運動をして制服を無くすのならいいのですが、外国まで行って訴えるのは、なんだか違う気がします。
私もソースがわからなかったので、ツイッターの元記事を載せたのですが、そうか、最近の話じゃなかったのですね。なぜ、なんのために? ただ、国母選手の話もあったし、それとからめて面白いな、とは思ったのですが。
そうか、そういうことですね! う~ん、私もそのアンチ一派と見られるとイヤン。
制服を嫌がる人は、服装で個性を出したいと思っている人たちだろうと思うんですが、服装で個性が出せるなら簡単でいいなあと思ってます。個性って、一生かけて追求するものだし。あ、これ、日記に付け加えておこう。

他の方も書いていますが、飲み水がない、学校そのものが爆撃でなくなった、災害で食べるものがない、という地域に住んでいる人に比べたら、日本は幸せですよね。豊かな国独特の不幸もあるかもしれませんが…。(引きこもりは豊かな国独特のもので、戦時下の国にはない、と聞いたことがあります)
なんにしろ、ファッションで個性を出したい人は、ファッション以外でも出せるのだから頑張ってね、といいたいですね。

そうですよね! 人はそれぞれ、個性的。服装で個性を出したい、服装を規正されたら個性が出ない、と思うのは、思春期にはよくあることですが、人権問題にかかわるとは私は思わないですね、やっぱり。
あなたがあなたであるだけでいいのに、と言ってあげたい。そのうえで、何か自分なりの「何か」を持ちたいのであれば、それは一生かけて追求すべきことだと思っています。

自由は何でもありではなくカオスになるのでは?
まったく同感です。自由、イコール、何でもアリ、じゃないですよね。ルールを守ることが不自由だとは思わないです。