短歌日和
夫は短歌を聞いては「わからん!! なんだこれは!!」といつも大怒り。文語調のもの、表現が凝ったものはたいてい大怒りする。
その中、二人で話題になった歌が一つ。
暗闇を残してバスは帰りたる
十分歩けば父母が棲む
この歌の選者は詩人のアーサー・ビナードさん。
選者も、対戦した歌人も「バスは帰りたる」というところに疑問を呈していた。
アーサーさんは「バスは去り行く」と添削したくなったとか。「バスが帰る」ではつじつまが合わないのでは、という対戦相手。
一読すると、
バスに乗ってきた作者が、バスを降りた。バスが去った後は暗闇しかないような不便な田舎。バス停から徒歩十分の所に住んでいる両親の家に行くところ。
と言う風に読める。
でも私は
バス停から徒歩十分の所に住む両親を置いて、自分がバスに乗って帰る。そこには暗闇が残っている。
と言うふうにも読めるのでは? と思う。
これを言ったとたんに、夫が「じーーん」と言って涙ぐむ。
「それだと悲しいなあ」
「だよね」
「もうそれしか考えられん!」
い、いや、最初の考え方もアリだと思うよ。そっちのほうが正しいのかもしれない。
だけど…。
私も実家が山奥のど田舎で、バスが通り過ぎると暗闇しか残らないような町に母が住んでいる。
鉄道も廃線になり、バス停からは徒歩30分もかかる。車でバス停まで送迎が必要な、そんな辺鄙なところに住んでいる母。
ときどき私もそこへ行き、そこから帰る。
実家へは「行く」で、自宅は「帰る」なのだ。
最初の読み(これから両親の家に行くところ)だとしても、「バスは帰りたる」という、「帰る」と言う動詞に、父母と同居していない作者の気持ちが、私にはうしろめたさまで感じられて、なんだか泣ける。
ここは「バスは去り行く」だとダメだなあ、と思うのでした。
それから、「棲む」という漢字にも、選者と対戦者は意見が分かれていた。
「棲む」がいい、いや「住む」のほうがいい、と。
「棲む」と書くと、私の世代は「同棲時代」という漫画を思い出す。男女がひっそりと寄り添って暮らしている感じがする。「住む」だと、普通の生活、って感じ。
やっぱり「棲む」だと思う。
なので、この歌は私にとって違和感ゼロ。
追記16時22分
なんと、この歌、大賞です~!
よかった~!
ということは、読み手の降りたバス停が「終点」ということなのでしょうね。
そこから先は、バスも通らない街灯もないような田舎道。
そのバス停に取り残された作者のわびしさと、でもその暗い道を少し歩けば父母のいる実家があるというホッとした気持ち。
その安堵感と、そんな寂しいところに父母を残して町に住んでいるうしろめたさ…。
「帰りたる」とすることによって、いろんなことが浮かんでくる歌ですねえ。
「去りゆく」では、単なる通過点のバス停なので、ここまでの寂しさは伝わらないと思います(^^)。
と言う風に読める。
同感です。「トトロ」でさつきとメイがお父さんを待っていた、あのバス停のイメージが浮かびました。回りは暗いけど、心は温かい!
そうですよね、ここが折り返し地点。そこから帰っていくバス。
これから両親の家に行くのか、両親を残して帰るのか、どちらにしても、バスが「帰っていく」ことでわびしさ、うしろめたさが感じられると思います。
★よーぷーさん
街灯もない、真っ暗闇の中のバス停。そしてそこから暗い道を歩いて行く。そういう暗闇を、都会の人はきっと想像つかないでしょうね。『バスは帰りたる』という言葉一つで、いろんな思いが沸きますね。
★ロースハム代さん
これから両親の待つ家に行くところ、と言う風に読むのが一番収まりがいいですね。でも、帰るところ、とも読めなくはないので、どちらでも読める、いい歌だと思いました。