夢は夜ひらく
雨が降るから会えないの 来ないあなたは野暮な人
http://www.youtube.com/watch?v=CwDXwYMURxM
演歌にちょっとポップス入ってる感じ。
緑川アコ
恋に焦がれるせみよりも泣かぬ蛍が身を焦がす・・・
http://www.youtube.com/watch?v=1hopi3_f7S8
こちらは艶歌。
藤圭子
十五、十六、十七と 私の人生暗かった・・・
http://www.youtube.com/watch?v=pWHXA7NeveU
言うまでもなく、恨歌。
「どうせ」という言葉が似合う雰囲気の声だった。最高に輝いた時期が「どうせ私は・・・・」「どうせこんなところじゃ・・・」というニュアンスを持った曲ばかり歌っていたように思う。
その後、阿久悠の作詞の曲も歌ったのに、あのヒットメーカーの阿久悠の曲なのに、大ヒットにはいたらなかった。(いや、ヒット曲もあったけれど、初期のヒットがあまりにもすごくて、そのイメージから抜け出せないだけかな)
阿久悠さんが亡くなったとき、たしか岩崎宏美さんが「阿久先生は、絶対『どうせ』という言葉を使わなかった」ということを言ってたのを思い出して、ストンと腑に落ちた気がする。
「どうせ・・・」というモノ言いは、普通はいいイメージには取られないし、不貞腐れていると思われる。
でも、藤圭子さんの「どうせ・・・」は、一見暗くはあるけれど、私には不貞腐れているようには見えない。
「どうせ私はこんな人だよ」「どうせ私はこんなレベルだよ」「どうせここはひどい所だよ」と言ってはいるけれど、不貞腐れるのではなく、このあと何かをしでかすのではないか、恨んでいるだけではなくて、突き抜けた真っ直ぐさが後ろに見える、と言うか…。
恨歌ではあるけれど、どうせ、って言ってるけど、でも真っ直ぐ。
彼女のストレートヘアのような、真っ直ぐ前を向いている瞳のような。うまく言えないけれど、そんな感じ。
藤圭子の「どうせ」は恨みではなく諦念だったのかもしれない。「どうせ」という言葉ですべてを受け入れて、あとは真っ直ぐに前を向いていたのかもしれない。
やはり一番すごみのあるのは、三上寛バージョンですねえ。
緑川アコのは、艶歌というより「都々逸(新内)」ですなあ(^_^;
元歌は
「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を〜焦が〜す〜♪」
ペペン♪
どうして前川清は彼女と結婚しちゃったんだろう? と、今でも不思議です。余計なお世話だけど(^_^;。
youtubeでも、三上寛バージョンがすごい!というコメントを見かけました。が、私はアレが苦手でね~・・・凄みは確かにありますが。「怨歌」と言われてますが、私は厭歌ですねえ。
緑川アコは、確かに、都都逸ですね!
前川清と結婚したときのニュースを覚えていますが、最初はお似合いなカップル!という報道でしたね。私も「物静かな二人」というイメージでしたけどね。離婚後の報道では、前川清が池の錦鯉をずーーーーーーっと見てるだけ、という話も出てきて、へーーーー…っと思った私でした。