2016年 01月 18日
中野新橋慕情
中野新橋は、40年前に私と姉が住んでいた所だ。姉がもともと住んでいたアパートに私が転がり込んで、姉に生活の面倒をみてもらいながら、のほほんと学生生活を送った場所だった。
40年ぶりに中野新橋の改札を出ると、そこはもう全く変わっていて、懐かしさも感じなかった。
今日、仕事が終わり、駅まで来ると、ふと昔住んでいたアパートの方へ行ってみようかなと思った。
改札を出て右へ。
最初の信号を左へ。しばらく歩くと交番があったはずだ。
雪がシャーベット状に溶けている道を歩きながら、40年前のことを思い出していた。
あの交番のお巡りさんに、宮崎の山奥の小さな町から出てきた私は、夜、バイト先から帰って来たとき、「今晩は」とあいさつしたのだった。
最初の日、お巡りさんには驚いていた。でもそのうち向こうからも挨拶を返してくれるようになった。
その事を姉に話すと、へーっ!と驚いて、私もやろう!と言い出したのだ。
こうして私たち姉妹は、二人して挨拶するようになったのだった。
あの交番はまだあるのかな。

あった!
同じ場所に交番があった。
この角を右に行けば、その先に姉と一緒に暮らした古いアパートがあっのだが。
私は結局、アパートを確かめずに駅へ引き返した。
もし姉が今、生きていれば、私はきっとアパートを確かめに行ったと思う。そして姉に電話して「今日、中野新橋に行ったよ。あの交番まだあったよ。アパートはもうなかったよ」なんて話をしたはずだ。
姉が逝ってから4年の月日が流れた。
姉が今はいないことを実感することはあまりないのだけれど、こんなとき強く思い出す。
ねーちゃん、中野新橋に行ったけんど、アパートまでは行かんかった。ねーちゃん、おらんから、話す人もおらんしね
時々、ねーちゃんに会いてーよ……
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