便利に慣れると、人が小さくなるね
PCでもスマホでも、乗り換え案内で目的地までの経路と時間を調べて、一番面倒が少ない経路を選ぶ。できるだけ家を遅く出て、出来るだけ早く目的地に着くように、あれこれ経由地を入れたり、私鉄とJRをあれこれ入れ替えてみたりして、とにかく面倒が少ない経路を選んでいる。
乗り換え案内、ナビタイムといった検索サイトは、本当にありがたい。
・・・なんだけど、最近ぜいたくになってしまって、いろいろ文句があったりするのよね・・・
乗り換えのときの徒歩での移動時間が私にあってない!とか。
いや、、、私が文句言う筋合いはないんだけど。
移動時間が、例えば私の足では7分しかかからないのに、ナビタイムでは10分も取ってあって、それだと検索して出てくる電車が1~2本遅いものになってしまう。
そうすると、到着時間が5分とか10分遅く出るので、仕方なく家を出る時間を早めたりするわけですよ。
でも実際には7分で歩いて移動できるので、乗り換え電車も1~2本早いものに乗れるわけです。あー、だったら家を出る時間、もっと遅くてもよかったのに!と、怒ったり。
なんてぜいたくな・・・。
昔、子供の頃は、こんな5分の差とか考えたこともなかった。
1時間に1本しかない汽車(ディーゼルカー)に乗って、大きな駅へ。そこから目的地まで、例えばバスで5分、というところへ10時までに行くには…。
9時50分着の汽車はないし、すぐ出るバスもない。
だから、8時の汽車に乗って9時に駅について、15分くらい待ってバスに乗って9時20分に目的地へ着く。40分早く着くけどしょうがない。
10時にどこかへ到着するために、東京と違って待ち合わせの時間が十分単位で増えていく。家を出るのも早くなる。でも、それを不便とも思わずに、早めに出るのは当然。そんな感覚だった。
5分遅い電車、3分早い電車に乗れるという、ものすごい便利さ。ものすごく、ものすごく便利なのに、あんまり感謝してないのねえ、私。
あと2分遅い電車があればいいのに! と、怒ったりして。
こんなに便利なのに、罰が当たるかも。人間が小せえ…
なんて、ちょっと思いました…