よだきい という言葉
疲れたときや面倒くさいときに「よだきい」と言う。
ただ単に「面倒くさい」イコール「よだきい」というわけでもない。
もっと複雑なニュアンスがある。
「よだきい」に限らず、あらゆる方言はほかのひとことでは言い表せない複雑で多様な意味が含まれているのだと思う。
今、疲れているわけではないし、めんどくさいわけでもないけれど、何かやる気が出ない、今の状態を、「そうだ! よだきいんだ、私!」と思い当たった。
義母が亡くなってから、何をするにもよだきい。
その前から、愛猫も亡くなっていたんだった…。
そら吉のことを忘れていたわけではない。大きな悲しみがあった。
でも、義母の看病や葬儀のことが大きすぎて、そら吉を失った悲しみが覆い隠されてしまった。
今、どちらの悲しみも表れてきていて、ダメージ大きいなあ…。
今月は病院の予約を間違えて次の日に行って、先生に怒られた。
昨日は大事な会議をすっかり失念していた。最後の最後に電話で参加させてもらったが、責任が果たせず、本当に申し訳ないことをしてしまった…。
ご迷惑をおかけした方々に、この場を借りてお詫び申し上げます。
本当に申し訳ありませんでした。
時間が解決する、とは思うけど、それを頼りにしているとどんどん無責任になって不義理をしてしまいそうなので、少しずつ気持ちを前向きにしていかねば・・・ と思ってますが、どうなることやら。
無理しないで、というコメントをいただきそうだけど、甘えてつけあがるので、少しは無理しないとね。
と、このブログを書きながら、ちょっと気持ちが変化してきた。
この状態が「よだきい」のだ、と気づいた、ということだったんだけど。
よだきいと気づく前は、どこか体悪いかな、と思ってたんだけど、そうじゃなくて、「ああ、私はいま、よだきいだけかー」と思ったら、少し前向きになれそうな気がしてきた。
よだきがる人のことを、よだきんぼ、ともいう。日之影では「ずうそご」とか「ずそご」と言ったなあ。最後の「ご」は「ずうそ子」ってことかな。
よく父に「ずうそごじゃなあ、たみ子は」と言われたのを思い出し、ちょっとほのぼのしてきた。しみじみ切ない感じじゃなくて、ほのぼの。
ほら、少し前向きな感じ。いいかもしれない。
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