姉の作文もいよいよラスト。昭和の家族の暮らしぶりがよくわかるとおほめの言葉をいただいた。
昨日までの3回で、母、父、たみ子(赤星家三女)、利枝(次女)のことが描かれた部分を紹介した。
今日は公代(姉本人、長女)のパートになる。自分自身の悪い点を反省を込めて書き、次にいい点を述べる。そして最後に家族愛でまとめる。
これはまさに先生の指導のたまもの。アドバイスを素直に受け入れて、素直に書いているのだと思う。姉の特質の一つが「素直」「人を疑わない」というところがあるのだが、それがいい具合に表れている文章だと思う。
自分のいい点で、お手伝いをちゃんとしているところをちょっと誇らしげに書いているのがほほえましい。(ねーちゃん、偉そうな意見ですんません)
確かに姉は小学校5~6年生のころから料理をし、家事全般をよくやっていた。私は当時、保育園を中退し、いつもゴロゴロし、起きているときは近所の本屋さんに入り浸っていただけだったのに、姉はよくごはんを作っていた。えらいなあ、昭和の子供は…。
最後に家族愛のことばで締めてあり、赤ペンの講評がちょっと泣かせるのだ…。
わたしの家族4
さてこのようにして家族の一員としての自分はどうだろうと はんせいをかねて考えてみた。
わたしの欠点はすこしなまけやさんということだ。気がむけば なんでも、いわれないうちにするのに、自分でしようと思わないことはするきがしないのだ。
よい点は気のむいたことを、いわれないうちにすることと 自分のもののせんたくや かたずけをすることだ。しょうらいのゆめを、二十以上ももっているわたしだが おとなになって どれになろうかまよってしまう。 わたしはさすがに、長女だけあって、うちのことをだいぶ 手つだっている。六年もまえからきて、てつだってくれていたねえちゃんがおよめにいったので、その間 てつだいをしなければ ならなかった。時どき、母のかわりに夕はんを作るが、とくいな料理は、ライスカレー サラダ 魚のにつけ みそしる チキンライス やきめし なんでもしてしまう。
わたしも妹のタミ子に まけない本ずきだが 読む間がなくてざんねんだ。
いまの所とてもいそがしいので 夜のくるのが早く思われる。もうすこし 自由な、時間がほしい。
だが、やはりわたしのやるべきことは、しなければならないのだがいやいやするのでなくすきでやるのだから あまりきついとは、思わない。 いそがしいことは きついけれど楽しいことだ。父も母も そう思っているだろう。
わたしの家族は、ひじょうに 楽しく みんなが助けあっているので幸福である。
これから、わたしたちが せい長しこの家族とわかれ 働きにいくかもしれない。そんなことがあってもけっしてわすれられないだろう。
講評
三十八年度 西臼杵郡文化祭 特選おめでとう。
◎赤星さんが日頃家族のことをよく見、よく協力していること、また、思ったこと、考えたことを書いていく態度が実を結んだのだと思います。
++++++++++++++++++
いやいや、なかなか読ませる作文だった。
講評が、赤インクのつけペンで書いてある。その文字が美しくて、昔の先生の字はきれいだったなあ…と思う。
姉は、身内の私が言うのもなんだが、文才があった。そのままのばせば、私よりも先にプロになったのかもしれない。
ただ、素直すぎて批評精神が少なかった、、、などと偉そうに言うけれど、のちに漫画家になった私と、姉との違いは、素直ではない私と、素直すぎる姉、の違いだったように思う。
姉は自分でも言っているが、気が向かないことはなかなかやらない。
気が向いたことはすぐやる。
まあ、それ、普通のことではあるのだが。
「気が向かないことはなかなかやらない」というのが、これまた50年以上経っても全く同じ。本当に、気が向かないことはまったくやらないのだ。
例えば眉毛の手入れとか。眉毛の手入れくらいやりなよ、と言うと、できない理由を次から次に出してきて、やらない。
新しいレシピをもらったらやってみる、というのはすぐにやるくせに、眉毛を手入れしない理由なら何十個も出してきてやらない。変わった人である。
ねーちゃんの性格を表すのにぴったりな言葉「ずそご」(または「ずぅそご」)というのは、面倒臭がり屋という意味だ。
好きなことはさっさと取り組むのに、ちょっとでも気が向かないことは徹底的にやらない。やればいいじゃん、と勧めても、持ち前の文才で「やらない言い訳」を延々と語り、やらない。ほんとに、そういう点にかけては「ずぅそご」だ。
さて、4回に分けてご紹介した作文だが、私のFBの友達はみんな感動して読んでくれた。ありがたい。
家族のありようとか、昔の暮らしとか、何かちょっとでも心に残ってくれたら嬉しいです。