今なぜこの本を思い出したのかというと、この本に日本がなぜ「元号」(年号)を使うのか、その理由(著者の考え)が書かれていたからだ。
初版が1971年で、昭和46年。50年近く前に読んだ本なのでうろ覚えだが、記憶をたどるとこんなことだったと思う。
西暦というのは外国のある宗教の教祖の生誕から始まった紀年法である。それを日本という国がなぜよその国の宗教で使われている暦を使わねばならないのか。
通年がわかるので一般の人が西暦を使うことも否定はしないが、国が出す公的な文書には日本独自の暦を使うべきであろう。
みたいなことが書いてあったと記憶している。(うろ覚えなので、新たに購入した時にでも解説入れるかも)
中学生だった私は、これを読んで「なるほどなあ」と思った。
当時、私は「西暦のほうがかっこいいじゃん」と思っていた。
中学生の視野の狭さ、海外のもののほうがかっこいいと単純に思っていたのだ。
私は西暦のほうが便利だと思うし、公的な文書にも西暦を入れるべきだと思う。
今や「西暦」を「キリスト教の人たちが使う特別な暦」と思って使う人はそういなくて、便利だから使うという人がほとんどだと思う。
便利なのは認めるので、公的文書に西暦を使うべきだと思う。
でも、よその宗教の暦を使うのであれば、日本古来の年号だって入れてもいいじゃん。
というわけで、私は年号と西暦は併記すればいいじゃん派です。
追記でも、お役所の文書には年号を入れないといけないので、間違えないようにカレンダーには西暦と年号を併記してもらいたいと思っている。
お役所の文書に年号を入れるのもやめたほうがいいじゃないか、という議論もあるけど、それは上記のように日本という国が出す文書なら、よその宗教の紀年法を使うより日本独自のものがあるんだからそっちを使うのも理解できる。
個人的には年号/元号を全く使わない私だけど、併記派なんですわー。
西暦とは、キリスト教でキリストと見なされるイエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年とした紀年法である。ラテン文字表記はヨーロッパ各国で異なるが、日本語や英語圏では、ラテン語の「A.D.」又は「AD」が使われる。A.D.またADとは「アンノドミニ 」の略であり、「主の年に」という意味。
イザヤ・ベンダサン
現在では、ベンダサンの正体は、『日本人とユダヤ人』の出版元であった山本書店の店主でベンダサン名義の作品の日本語訳者と称してきた山本七平であることは間違いがないとされる。
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