2006年 05月 20日
私のダヴィンチ・コード
今日は映画「ダヴィンチ・コード」公開日。
テレビでも特集されていて、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵の解説をやっています。
さて、その中で「最後の晩餐」について、私もちょっと解説を・・・。
私の解説は、ものすご~く身も蓋もないので、真っ当な学術的な解説は期待しないでね。
これがその「最後の晩餐」。

この絵にいくつかの秘密がある、ということで、その一つが、なぜキリストの向かって左隣が空いているのか、というものだそうです。
キリストの左隣が空いているからこそすっきりしているし、キリストが目立つと思いませんか?
目立たせたい人物の回りはすっきり空ける、というのは、絵を描く人なら考えずに選ぶ構図ではないか、と思います。
なぜキリストの顔の横が空いているのかわからない、と番組の出演者は言っていましたが、私の考えはこうです。↓↓

ちょうどキリストの顔の横にパースの消失点があります。もっと厳密にとると、キリストの髪の毛のあたりにくるかな?
消失点のあたりに人物がいるより、いない方が、奥行きが出て画面が広く感じられます。
だからキリストの顔の隣を空けただけなんじゃないの? というのが、私の考えです。
それと、テーブルの上の小物を描くときもパースは取っているわけですが、そのとき消失点が人物にかかっていると描きにくい。すっきり空いているところに消失点があるほうが描きやすい。なので、キリストの隣部分は空いているのでは?
このほうがパース取りやすいし、腕枕(わんちん)を使うときも使いやすいと思うな。
つまり、この絵がなぜこういう構図なのかは、宗教的なことは一切排してテクニカルなところだけで考えると、「これが一番描きやすいから」だと思います~。すごく単純な理由でしょ。
それから、1点透視図法というのはダ・ヴィンチの頃には確立してはいたんだけど、でもあれだけの大きさの絵では、人間の目では一度に全部を見ることは出来ず、いくつかのパーツに分けて観ることになります。
そうすると、パーツごとにちょっとずつ消失点が変わる、という事も起こります。
実際の絵に補助線を入れてみると、焦点がいくつか出てくるのは、これはもう仕方のないことで、不思議でもなんでもない、と私は思うんだけど。
モナ・リザの絵も、神秘的、幽玄というイメージがあるけど、あれは暗い色味のせいも大きいでしょう。やっぱり子どもの頃、画集で古典絵画を見ると、全部同じように暗い色合いで、どうしてだろう?と思ったけど、そりゃ500年も何百年も経った絵だと退色したり汚れたり変色したりで、色合いが暗くなるのは当たり前。
その暗い色味が、画家の描いた色味だ、と思ってはイカンですよね。
何百年かの変色を見越して絵を見ないと。

そういう意味で言った子孫なんじゃないでしょうか?
何でも、「謎」にしたがるのは、テレビの視聴率稼ぎ以上のものではないでしょうね。
ダ・ヴィンチほどの科学者が描いた絵なのですから、オカルトめいたなぞ解きより、合理的な(まさに、赤星さんの書かれた通り)解釈の方が絵を描く人間にはよほど参考になりますね(^^)。

MU沖縄さん、兄弟姉妹がたくさんなんだから、血族もいていいじゃん、ねえ。と思うのは、私がキリスト教を理解していないからでしょうかねえ。経典もあまり読んだことないし・・・。
黒豆さん、ホント、描きやすさを追求すると、ああなりますよね~。特に腕枕をどこに置くかを考えると、あそこをあけるしかない。と思います。