上野のパンダ
この●●のところ、昨日のニュースでは飼育係の方は、「亡くなりました」とおっしゃってましたが、アナウンサーは「死にました」と言っていました。
アナウンサーが「死にました」と言ったテレビ局は、私が確認しただけで3社。
ところが、今朝、いつになく早起きしてテレビをつけたら、「りんりんが 息を引き取りました」という表現に変わっていました。(←6時台のテレ朝のニュースでした。7時台の同じテレ朝のニュースでは「死亡したニュースです」となってました)
昨日のニュースで「パンダが死にました」という言い方には、ちょっと違和感を覚えましたが、でも、おそらく日本語としてはこちらが 理 論 上 は 正しいのでしょう。
二昔前、「ペットにえさをあげる」「自分の子ども(赤ちゃん)にミルクをあげる」というのは、ペットや自分の子どもに敬語を使うのはおかしい、と言っている新聞記事だったか、テレビの番組だったかを見た記憶があります。
それで行くと、動物園の動物は「死んだ」と言うのが正しくて、「亡くなった」と敬語を使うのはおかしい、ということになるのでしょう。それが理論的なんでしょうね、多分。
でも、私はやっぱり、「パンダが死にました」という言い方はちょっと侘しいなあと思います。
パンダが逝去なさいました、とか、お隠れになりました、お亡くなりになりました、というのは過剰でしょうが、「亡くなりました」というのは、現代の言語感覚ではごく普通の表現のような気がします。
テレビ局も、昨日の「死にました」という言い方にクレームでもきたのかな。
今朝の「息を引き取りました」と変わっていたのには、ちょっと驚きつつ、ちょっとホッとしました。「死にました」では、りんりんにとってもかかわった方々にとっても、ちょっとぶっきらぼうすぎてかわいそうだなあ、と思っていたので。

あれが、キリンやウサギやネズミだったら、「死んだ」と表現しても、おそらく誰もたいして違和感は感じなかったのでは?と思います。
長野の聖火騒ぎの陰でも、この国の警察とマスコミは、紅い旗を振る人たちばかりを大切にしてたようですから…。

たぶんフジテレビだったと思うのですが「永眠しました」といっているのを聞きました。私もなんだかホッとしました。
ところでリンリンのニュースのとき、必ずといっていいほど胡主席の来日時にパンダ提供(貸与)を期待する報道してましたね。当然なのかもしれないですが、「なんだかはしたない」と思いました。リンリンにも失礼だし。

同じく理論上では、野良犬など無所属の動物に何者かが危害を加えると動物虐待の罪に問われますが、所属している犬(飼われている)などが危害を加えられた場合は器物損壊の罪に問われてしまう・・・この辺の感覚に大いに違和感を感じてしまうんですよねぇ。
加えて私なんか超アホアホな飼い主(犬の)なので、餌という言葉にも抵抗感じてしまうアホぶりであります。擬人化の極めであります(汗)。
おお、確かにそういう読みも!
これを書いたとき、どういう動物だったら「死んだ」と言っても違和感がないか、を考えたんですが、私の場合は、人間の手がかかっている動物(飼育されていた動物)には「死んだ」を使うのはかわいそう、という意識があるようです。
だから、ねずみでも、トカゲでも、ペットとして飼われていたら[なくなった」って言っちゃうような気がします。あくまでも、私は、ということですが。
私もペット(猫)を擬人化してしまうので、絶対「うちの子」と言わないように気をつけているんですが・・・…言っちゃうんですよね~~~。
ごはんもあえて「えさ」と言ってみたり、言葉だけでもぶっきらぼうにしとかないと、人前でものすごい猫バカぶりがバレバレになってしまう! と注意してるんです。
が、「コマちゃ~ん、お食事よ~~~」とか言っちゃいますねえ…。
今日(5月2日)は、フジで「死んだニュースです」と言っていて、敬語に対するクレームが来たのかなあ、なんて思いました。
敬語の理論では、動物は「死ぬ」と言うのが正しいんでしょうが、人の手で飼育されて、家族同様、友達として存在していた動物には、「亡くなる」とか、「息を引き取る」とか、そう言う方が、私は好きですねぇ・・・。

上野のパンダのりんりんの動いている映像を
2006年に携帯の動画で撮ったものがあります。
りんりんが死んでしまって悲しいけど
死の現実を見極めるには死んでしまったと表現したほうが
いいような気がします。
話がずれているかもしれませんが・・・
私は7歳の時に祖母が亡くなりそのときに
『おばあちゃんが息を引き取ったのよ』と言われ
意味が解らなかった記憶が・・・
死んだのよと言われあっと思い。
子供だったので覚えてはいませんが・・・
一緒に暮らしていなかったので
私自身は悲しいという感覚があまり無かったように感じます。
父が泣いているのを見て悲しい現実を知り
大事な人がいなくなる悲しさが少し理解できたようでした。

そんなに悪いのなら、もっと早く展示をやめてもよかったんじゃないか、とさえ思いました。
動物園の目玉だし、なかなかそういう判断ができなかったのかもしれないけれども、ある程度の年齢になったら、人目にさらされずに穏やかな老後を送ってもらってもいいような気がします。(←これも敬語的には変なんでしょうが)