カテゴリ:父関連( 4 )
なぜ今頃? に関するお答え
2014年 11月 12日「なぜ今頃言うのですか?」、「何を今さら」 「今頃言うなんておかしい」 「どこかから圧力でもあったのですか?」という、質問や疑問が多く寄せられました。
答え。
このデマが広まっているのを知ったのがつい最近だったからです。
どこからも圧力などはありません。
初めてこのデマを知ったのが、今年の11月6日。その日のうちに訂正記事をFBに出しています。
コメント欄にもこの質問が多く寄せられ、一つ一つ返事をしていましたが、仕事にも差し支えるようになりましたので、一時コメント欄を閉じさせていただきます。
また、メモの解読をしてくださった方も多く、大変ありがたく、興味深く読ませていただきました。
父の気持ちを汲んでくださる方が多く、久々にあのメモを読んで、父のことを思い出し、涙しました。
いろいろな感想をくださった方、ありがとうございました。
ネット上には多くの情報が氾濫していますが、この一件を通して、「作りこまれたデマ」が確実に存在することを知っていただきたいのです。
ネット上の情報は鵜呑みにしないこと。
このことを呼びかけたいのです。みなさま、ぜひ気を付けてください。
追記
この記事には、かつて数百ものコメントが付きました。
解読してくださった方々、さまざまなご意見もいただき、感謝しております。
みなさまのご意見も大切に保存してあります。
しかし、仕事に支障が出るくらいたくさんのコメントをいただきましたので、コメント欄を閉じさせていただきました。
大変勝手ではありますが、どうぞご了解くださいませ。
よろしくお願いいたします。
父の遺書と上原美優さんとの関連性
2014年 11月 11日それが意外な広まり方をしていると知ったのは、今年(2014年の)11月6日です。
フェイスブックのタイムラインにたまたま上がってきた「●●が自殺前に書いたメモの意味が怖い」というニュース記事を見て、そのメモの写真が、私が撮影したものだとわかりました。
それを見てすぐ、FBで「これはいったいどういうこと??」と疑問の声を投稿しました。それだけでも多少拡散したのですが、8日にブログに書き、それをツイッターでも出したところ、急激に広まりました。
今頃なぜ?と言われても、気づいたのが五日前の今年の11月6日だったのです。何年も前にこんなことが広まっていたなど、私は夢にも思いませんでした。
父は2005年、9月20日に亡くなりました。その時、病院の枕元にあったメモを、私は写真に撮りましたが、メモそのものは病院の方が廃棄してしまったようです。もともとチラシの裏を筆談用に綴じてあっただけのメモ帳で、一番上のものを保管しようとする前に処分されたのでしょう。写真撮影しておいてよかった!と思いました。
それから3年も経って、父のメモを公開し、最後の言葉を解読したくなったのかというと、あるタレントさんの一言からでした。
2008年、あるタレントさんがある記者会見で、「父が恋しいです」とおっしゃって涙ぐんでいたのを見て、ああ、私も父が恋しいなあ、、、会いたいなあ、あの時のメモの意味が知りたいなあ、と思ったのです。
後半部分は「ホントーにアリガトウ」と読めますが、最初の部分が読めません。
2008年10月30日のブログの、コメント欄には、リアル友人や、ネット上のお付き合いのある方などがコメントを寄せてくださって、温かな解釈をしていただきました。
私も夫や母と話し合って、「きっとこういうことではなかったのかな」という、漠然とした解釈もあります。
父は、赤星の姓を残したかったのです。
私は三姉妹ですが、全員、結婚して違う姓になりました。
だれか、赤星の姓を継いでくれるのはいないのかな、と父が生前つぶやいていたのを夫が知り、「俺が赤星の姓を継いでもいいぞ」と言ってくれました。その話もしないとな、と言っていた矢先に、父が他界したのです。
残と読めるのは、姓を残したかったことかもしれません。
その前の「本」と読めるのは、本籍のこと、かもしれません。
病院から自宅へ帰りたかったのか…
それとも、18日に私と夫が突然帰ってきて、それを見て大喜びした父でしたから、「帰ってきた(たみ子と新野)と話がしたい」というような意味かもしれません。
おそらく、ですが、父のメモは、夫と私に、姓をどうするのか、が聞きたかったのだと私は感じています。それと、ホントーにアリガトウ、ということははっきりと読み取れます。
父の残したメモが、別の人のものとして独り歩きした経緯は、おそらく2011年5月12日、初めてネット上で関連づけがされたのだと思います。
(これに関してはこちらをご覧ください)
その頃は私は2ちゃんねるを見る習慣がなく、まったく知りませんでした。
つい最近、2014年11月6日に初めてこの件を知りました。ただただ驚き、愕然としました。
私はこの件を怒っているというより、多くの人に注意を喚起したいだけです。
ネット上に出ているいろんな情報を鵜呑みにせず、ちょっと調べてもらいたいな、と思うのです。
調べようと思えば、最初に2ちゃんねるに投稿された写真のプロパティを調べれば、写真が撮影された日時がわかります。
現に、「またこの遺書の画像そのものが2005:09:20に撮影されているという話も出ており、捏造、本物ではない、という意見もある」と書いているブログもあります。http://goldbook.ashita-sanuki.jp/e608962.html
まさに、2005年、9月20日は、私の父の命日です。その日の朝、父が亡くなりました。そして病院でメモの写真を撮ったのです…。
私もネットのことやPCのことはそれほど詳しくなく、いろんなやり方があると思いますが、少なくとも、写真の撮影日がわかったのなら、それから推察すれば上原美優さんとの関連は薄いと考えることができます。
私自身のことより、亡くなった上原美優さんとそのご遺族のほうがもっと悲しく、つらいことだったのではないかと思います。ご本人とまったく関係の無いメモをこじつけられて、無理やりな解釈まで付けらるなんて……。
上原美優さんのご冥福を、今一度お祈り申し上げます。
追記
最初、上原さんの御名前は出さずに、アイドルタレントさん、としたのですが、先日の記事でも出していますし、ここはきちんと上原さんと父のメモとの関連を書いたほうがいいだろうと、お名前をだすことにしました。
お名前を出すと、ファンの方たちの悲しみも増すかもしれませんが、きちんと書くことも大事かとと思います。
再び、ご冥福をお祈りいたします。
追記
この記事には、かつて数百ものコメントが付きました。
解読してくださった方々、さまざまなご意見もいただき、感謝しております。
みなさまのご意見も大切に保存してあります。
しかし、仕事に支障が出るくらいたくさんのコメントをいただきましたので、コメント欄を閉じさせていただきました。
大変勝手ではありますが、どうぞご了解くださいませ。
よろしくお願いいたします。
父の遺書と上原美優さん
2014年 11月 08日亡くなる直前に父が書いたもので、手が震え、文字もよくわからなかった。なんとか解読してもらいたいという思いだった。

ところが、その写真が、2011年に亡くなった上原美優さんの遺書として独り歩きしていた。(バズニュースやネイバーまとめ、Youtubeにまで出ている)
それも、面白おかしく、勝手な解釈まで付けられて。
(追記:このことを知ったのが、今年(2014年)の11月6日です。「このことを、なぜ今頃出すの?」と言われるのですが、知ったのがつい最近だったからです。ご理解よろしくお願いいたします)
いったい誰が、いつ、何のために、私の父の遺書を流用したのか。
友達がgoogleで検索してくれて、おそらく一番最初に出たのであろうページを見つけてくれた。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1305182128/
2ちゃんのスレである。
上原美優さんが亡くなったのが2011年5月11日夜で、このスレが立ったのが翌日12日の15時35分。
次々に書き込みがあり、763番目の投稿に私の父の遺書の写真のURLが貼ってある。
これが12日の16時30分。
上原さんの死の翌日の16時半だから、おそらく、ネット上で彼女の死と私の父の遺書が最初に関連づけられたのは、この投稿なのだと思う。
その後、この写真は上原さんの遺書として独り歩きすることになる。
私の父が書いたものなのに。
誰もそれを検証もせず、疑問にも思わず、これが上原さんの遺書だと思い込んだ。
そして、紙媒体でもこの写真は出回り、コンビニに置いてある「怖い噂」という雑誌(ムック)にも出ていたとのこと。
(2011年7月19日に、この件をツイートしている人がいる)
そのムックは種子島(上原さんの出身地)の信仰に絡めて、「この遺書と同じ文字が森の中の小屋の壁に彫られていた!」というセンセーショナルな記事に作り上げていた。
その記事は、「ネットの力で風化STOP 未解決事件を追う」というサイトにも出ている。
http://netpower1.blog14.fc2.com/img/mika234.jpg/
このサイトを見て、あまりのお粗末さに唖然となった。小屋の壁に彫られている、とされるその文字、どう見ても「彫られている」ようには見えないのだ。
単にフォントを組み合わせて作りましたよ、という文字で、写真加工の技術のある人ならすぐできそうなでっち上げ写真にしか見えない。
まったく、私の父の遺書が2ちゃんのスレに出たあと、それを誰も検証せず、すんなり上原さんの遺書として信じたなんて…
情けないというか、恐ろしいというか…。
一般の方ならまだしも、出版関係の人たちまでもが信じて、それを大前提としてでっち上げ記事を書くなんて…。
少なくとも紙媒体は出版されるまでに何人もの目と手が入り、検証や校正や確認作業が済んでから印刷されるものだと思っていたのに…。
ともあれ、ネット上でも紙媒体でも、ゴシップ記事は、ちゃんと検証しなければならないと、これは自分にも言い聞かせることにしよう。
バズニュース
http://inv.sakura.ne.jp/buz/hanme3/
(こちらは「いいね!」のクリックを要求するサイトですが、絶対にいいね、しないでください)
naver まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2140172919748721301
(こちらに、フォントを組み合わせて作ったまったくウソの解読が出ている。壁に彫られているのではなく、フォントを組み合わせて作った文字なので、信用なさらないように。)
※NAVERまとめの方は、上原さんに関する噂の中から、遺書の写真を外していました。(2014年11月9日現在)
Youtubeでもいろいろ出ていますが、皆様、信じないでくださいね。
追記
この記事には、かつて数百ものコメントが付きました。
解読してくださった方々、さまざまなご意見もいただき、感謝しております。
みなさまのご意見も大切に保存してあります。
しかし、仕事に支障が出るくらいたくさんのコメントをいただきましたので、コメント欄を閉じさせていただきました。
大変勝手ではありますが、どうぞご了解くださいませ。
よろしくお願いいたします。
解読お願いします
2008年 10月 31日「父が恋しいです」
と言ったその言葉。
私だって言いたいよ。
私も3年前に父を亡くし、大変、大変、恋しいです。
また会いたいです。
そして、多くの人に見てもらって、解読してもらいたい物があります。

写真は、父が、亡くなる前日に書いたもの。遺書です。(というより、「お礼の言葉」ですね。いわゆる法的な効力を持つ「遺書」とは全く違います)
父は、肺機能不全で、呼吸がうまく出来ず、亡くなる1年3ヶ月前に気管切開をしました。そのために言葉を発することが出来ず、この1年3ヶ月はずっと筆談でした。
このメモを書く数日前の筆談のメモはもっとしっかりした文字で、ちゃんと意味がわかる物でした。
でも、このメモは、文字が乱れています。亡くなる12時間ほど前に書いたもので、きっと、翌日、自分は旅立つのだということがわかっていて書いたのだと思います。
最初の文字は「長」でしょうか。長く病床にいたので、「床」、心残りがあるのか「残」、病院から自宅に帰りたかったのか「帰」というような文字に見えます。
なんて書いてあるのか、読める人はいませんか。ちょっとしたヒントでもいいですから。
後のほうの文字は、ホントーニ アリガトウ と読めます。
父はみんなに感謝の言葉を残して逝きました。
また会いたいです。
追記
この記事には、かつて数百ものコメントが付きました。
解読してくださった方々、さまざまなご意見もいただき、感謝しております。
みなさまのご意見も大切に保存してあります。
しかし、仕事に支障が出るくらいたくさんのコメントをいただきましたので、コメント欄を閉じさせていただきました。
大変勝手ではありますが、どうぞご了解くださいませ。
よろしくお願いいたします。