「さっぱり」から「しっとり」へ
2018年 07月 27日

わたしの家族……も使っているミントの石けん
2018年 07月 27日
わたしの家族8 ねーちゃんの奇行…いや善行?
2018年 07月 25日「わたしの家族」7 女王様かっ!!
2018年 07月 23日「わたしの家族」6 私をいじめていた姉でしたが
2018年 07月 23日最初の入院の時(1996年)、乳がんは外科だからなんでも食べられると、旺盛な食欲をみせたり、腹筋を鍛えたり、なにかの資格試験の勉強をしていた。
最後は人工呼吸器をつけていたが、弱音ははかなかった。
三人姉妹で、子供の頃はよく喧嘩をしていた。何かを取ったとか、触ったとか、どうでもいいようなことで、ワアワア、ギャーギャー言っていたように思う。大人になって、それぞれに家庭を持って、落ち着いて話ができるようになった。その妹が一人欠けてしまった。もっと話したり、旅行したり、楽しいことがあったのになあ・・・と思う。
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利枝姉は私をよくいじめていた(きょうだいげんかの範疇で、他愛のないいじめではある)のだが、母がよく利枝に「やめちょきね! たみ子がおびえよる!」と叱っていたのを思い出す。
子供のころの3歳差は大きいので、私もおびえていたんだろうなあ。
数年前に「お月見」のテーマで短いコラムを頼まれ、私は利枝姉と月のことを書いた。それをちょっと引用しよう。
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月を見ながら歩くと月が自分と一緒に付いて来ます。小さなころはこれが不思議でしたが、3歳年上の姉に「月は途方もねえくらい遠くにあるから、ついてくるように見えるとよ」と教わりました。
多分、学校で習ったばかりだったのでしょう。ちょっと得意げな顔をしていました。「途方もないくらい遠い」という言い方を、私はそのとき初めて知りました。
お月見の頃はこのことを思い出します。私によく意地悪をしていた姉が珍しく優しかったこと、月が一緒に付いてきたこと、得意げな姉の顔。
その姉は4年前、長い闘病の末に亡くなりました。月よりももっと遠く、途方もなく遠い所へ行ってしまった姉。
ケンカばかりしていたけれど、月を見ると姉に会いたくなります。
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姉が亡くなってしばらくは、死んだ、とは思わなかった。いや、今も、「死んだ」とは思わず、簡単には会えないほど遠いところ、月よりももっと遠い、途方もなく遠いところへ行ってしまったのだな、と思う。
ねーちゃん、その途方もなく遠いところは、いいところじゃろか。
・・・・な~んてね、ちょっと感傷的になってしまった。
ほんとは、もっと衝撃的(笑撃的かも?)な話を書きたかったのだが。その話はまた明日。
「わたしの家族」5 朝ドラになるかも?
2018年 07月 21日五歳年下の妹たみ子は、よく本を読む子だった。近所の本屋さんの常連(買うのではなく立ち読み)で、私達が立ち読みをしていると、おばあさんに追い払われていたが、妹は公認されていた。漫画をよく描いていた。何歳ごろだったかは覚えていないが、なかなか上手いなあと思ったことがある。
テレビドラマで「次郎物語」というのをやっていて、それを見ながら号泣していた。♪次郎 次郎 見てごらん 白鳥は 風に向かって 飛んでいく ♪というテーマソングと共に忘れられない。とても感受性の強い子供だった。
セーターやカーデガンを、ズボンの中に入れるというスタイルも、独特だった。特別の美的感覚と言うものがあったのだろうか。
英語はNHKの基礎英語で覚えたそうだ。テレビを録画して、毎日繰り返して見たそうだ。繰り返すということが大事なのだ。
それらのすべてが、現在の職業に繋がっているのだなと思う。
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これも懐かしい…。
私の生まれ育った日之影町は、宮崎県北部、西臼杵郡というほとんどが山、という地域にある小さな町だ。人口も少ない。
そんな中、西臼杵郡の文化を守る、という高い理想を掲げた本屋さんがある。高橋書店である。
私の実家のすぐ二軒となりにあった。
昭和の子供たちは書店で立ち読みをしては書店のおじちゃんおばちゃんにハタキで追い払われていたのだが、私は保育園を中退して時間があったので、いつも書店で立ち読みを繰り返していた。
まだ本当に小さかったので、おじちゃんの足の間をすり抜けるようにして隠れて読んでいた。
あまりのしつこさにあきれ果てたおじちゃんが、ある日「またお前か、お前ならもういいわ」と言ってくれたのだ。
私の親もお礼はしたのかしなかったのか、今となってはわからないが、本当に本当に、どんなに感謝してもしきれないくらいの恩をこの書店からいただいた。
たくさんの本を読み、漫画を読み、私が漫画家になれたのも、この高橋書店のおかげだと思っている。
ありがたくてありがたくて、いつも思い出すと涙が出る。あんな山の中の田舎の子が、東京の子供とほとんどタイムラグなしに「火の鳥」を読めたなんて…。
書店のおばちゃんが長いこと病床に就いていたとき、「私が漫画家になれたのはおばちゃんのおかげよ、ありがとう」と言ったら、おばちゃんは涙を流して喜んでくれた。
それから…
今も私の家族の語り草になっているのが「セーターやカーディガンを、ズボンの中に入れるというスタイル」だ。
当時の私には服装に関する独自のルールがあって、その一つが、「上に着ている服は必ずズボンやスカートに入れなければならない」というものだった。
それは、当時の少女漫画誌で見た絵に影響を受けたせいかもしれない。
当時の漫画やファッション雑誌では、必ずスカートの中にブラウスが入っていたのだ。それを見た私は、それが正しい、それ以外はダメ、と思い込んだのかもしれない。
また、衣類が上にずり上がると不愉快で、違和感があった。だからブラウスやセーターやカーディガンを必ずズボンの中に入れなければ気が済まなかった。
着心地や肌触りに関して、少しでも違和感があると癇癪をおこしていたのだが、そんなことで違和感を持つということが大人には伝わらず、ただ癇癪(とんきろ)を起こしているだけだと思われていた。
服装や持ち物、布団の上げ下ろしなど、生活全般に関して、私には独自のルールがあった。
そのルールから外れた違和感、不快感から、とんきろを起こしていたので、「勝手屋さん」と思われていた。うーん、違うのに!! と、今になって思う。
勝手屋さんじゃないんだよ、違和感・不快感を伝えるすべがなかっただけなんだよ! と、大人になって冷静に思うけれど、子供のころは生きにくかったなあ…。
姉の作文からいろいろ思い起こして、懐かしやら、しみじみするやら。
姉の作文は「まるで朝ドラ見てるみたいでした!」という感想もいただいたけど、そこも含めて、私と本屋さんとの関係とか、朝ドラ向きのエピソードかも。
いつか、私が漫画化したいなあ…
わたしの家族4 最終章 講評が泣かせる
2018年 07月 20日
よい点は気のむいたことを、いわれないうちにすることと 自分のもののせんたくや かたずけをすることだ。しょうらいのゆめを、二十以上ももっているわたしだが おとなになって どれになろうかまよってしまう。

わたしも妹のタミ子に まけない本ずきだが 読む間がなくてざんねんだ。
いまの所とてもいそがしいので 夜のくるのが早く思われる。もうすこし 自由な、時間がほしい。
だが、やはりわたしのやるべきことは、しなければならないのだがいやいやするのでなくすきでやるのだから あまりきついとは、思わない。

わたしの家族は、ひじょうに 楽しく みんなが助けあっているので幸福である。
これから、わたしたちが せい長しこの家族とわかれ 働きにいくかもしれない。そんなことがあってもけっしてわすれられないだろう。
わたしの家族3 いよいよ末っ子の描写が!
2018年 07月 19日
「これとこれは、にあわない」といってだだをこねる。本がすきで、小学二、三年の本をぺらぺら読んで一さつの本を一時間ぐらいで読んでしまう。
ときどき自分でおはなしを作ったり まんがをかいたりして、おとなの人をおどろかせる。
いったい おとなになってなにになるのかわからない。わたしの考えでは、おしゃれでかってきままなおとなになりそうで少し心配だ。
せいしつはかってやさんで 少女の週刊誌をかってくると「わたしが一よ。」といってジャンケンでまけても「わたしよ わたしよ。」といってさきによんでしまう。よませないとかみついたりする。こんなあらっぽいせいしつである。

三年生でみかけは 目がくりくりして とてもかわいく 先生の前や人のまえでは ふつうのていねいなことばをつかう。だからせいしつをしらない人がみると、かわいくりこうそうにみえるだろうが せいしつはまるで正はんたい。もし勉強しているときわたしがちょっとでうたったりすると、ヒステリーをおこして「いーだまっちょけ。」とおこる。
肉が大こうぶつで 人の肉までほしがる。あそびからかえると「あーひもじい あーひもじい。」といってかつえる。かつえんぼうである。また末子のたみ子のよいあそびあいてである。わたしが、つごうであそんでやれない時は、よく遊んでやっている。

いちばんこまるのは、わたしにけんかをしかけてくることだ。もしわたしがポンとかたをたたいてあやまると それでは、すまんといってたたきかえす。これがけんかのもとになることが多い。
「わたしの家族」2 若き母と父の姿
2018年 07月 18日
自分のせいが高いので、わたしのせいが日ましに高くなるのをみて、「そんなに高くなるとおかしいよ。」という また わたしが学校へ行く時頭をうまくゆっていないと、「はいピン もっとうまくゆえんとね。」といって自分であたまに していたピンをはずしながらいう。こんな母であるので わたしの成長に気をくばる。
母がなんといっても いちばんおこるのは夜あそびと、きょうだいげんかの時である。これから、気をつけなくては、母のかおにおこったしわがふえてしまう。

私の父は、五年ほど前に 入いん生活をしたことがあるので 体がよわく 力しごとやむりなことがあまりできない。それで 店の小さいことは、いっさい母にまかせ 遠くや近くのはいたつ ちょうぼがおもな仕事である 父はよそのお父さんにくらべ大変やさしい。でも やっぱりおこるとこわい。
わたしや妹の 宿題でわからにことは、やさしい方法でおしえてくれる 国語の漢字で、わからないことをきくと、「ふうん 今は、こうやってかくのか むかしはこうやってかいたんだ。」とたばこを口にくわえながらえんぴつをとって紙にかきながら教えてくれるよい父である。わたしは、こんな父が大すきだ。

やめてくれ、やめてくれといったら、父のいこいがなくなってしまうから、かげんしてするように すべきである。
「わたしの家族1」姉の作文より
2018年 07月 18日
