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群馬県で講演でした

昨日は群馬県で講演会。
朝9時前に家を出て、9時半の電車に乗った。錦糸町から北千住、そこから新桐生までの距離。

到着したら、担当の方が「遠かったでしょう」とねぎらってくださったのだが、車内でうとうとしていたので全然遠いと思わなかった。いいねえ、居眠りって! 居眠りできる環境、というのもいいねえ。

講演内容は、いつもの私のテーマ(エコ・環境関連、石けん関連)と違って、男女共同参画がテーマ。

男女が対等に家事をこなし、仕事をこなすための秘訣を前に本に書いた。出版してすぐは全然話題にならなかったのに、10年以上たってから講演依頼が来るようになった。

そういえば93年にエコの本を出した時は全く話題にならなかったのに、97年に出した時はものすごく話題になった。

書いてすぐのときは話題にならないのに数年後に話題になるって……。
よく言えば、先見の明があったとか、センスが早すぎた、とか。

しかし、センスが早すぎた、ってのは、いいようで悪い。結局売れなかった、ということだから。
(これから先に売れるかどうかは微妙だし…)
結局、時機に乗ることができなかった、ということだから。

と、愚痴っても仕方ない。
男女や家族がうまく付き合っていけるノウハウを、今後も少しずつ磨いていこう。

# by akaboshi_tamiko | 2020-02-02 16:21 | Trackback | Comments(4)

母の介護

母の介護は同居している姉がしっかりしてくれた。
私は千葉にいるし、直接的な手助けができなかった。

「ねーちゃん、いつも悪いね、私は何も手伝えなくてごめんね」と言うと、姉は「お母さんはトイレも食事も自分でできるから大変じゃないよ」と答えるのですっかり安心していた。

しかし、ある時、帰省して母の介護の様子を見て驚いた。
トイレは自分でできるとはいえ、そこに連れていくまでが大変なのだ。

母をキャスターのついた椅子に座らせ、それを姉が押してトイレに連れていく。という一文をきちんと書くと…。

まず、ベッドを電動で起こし、母の上半身を姉の体にもたれかけさせる。体を引っ張ってベッドから椅子へ移して座らせる。

椅子を押してトイレ連れて行き、立った状態でズボンを下ろして便座に座らせる。

用を足している間は外に出る。排泄して流して拭くのは母がやり、姉を呼ぶ。

母を立たせて、衣服を上げる。椅子に座らせ、ベッドまで押していく。

椅子から立ち上がらせて、お尻をベッドに乗せて座らせる。両足を持ち上げてベッドに置き、手足を痛くないように具合よく配置して毛布や布団をかける。

という手順だ。自分でできる、というのは青字部分だけではないか。大変じゃん、ねーちゃん!

食事の時も同じようにベッドから椅子に移す、連れていく、、、、という一連の世話がかかる。自分の手でお箸や茶わんをもって食べるとはいえ、連れていくのはかなりな肉体労働だ。

それを「大変じゃなかった」と言う姉。
その胆力というか包容力には驚かされる。

何もできなかったことを後悔していると、「あんたは自分の姑を看取ったんだからいいとよ」と言ってくれるのだが、私の場合は姑と同居したのは2年弱。最晩年は骨折で入院して、手厚い介護は病院の看護師さんがしてくれた…。
姉の姿勢は私のへなちょこ介護とはレベルが違う。

ねーちゃん、ありがとう。そして、姉を支えてくれた夫のYさん、娘のHちゃん、ありがとう!!


# by akaboshi_tamiko | 2020-01-31 18:00 | Trackback | Comments(0)

母と虹

1月27日、母の葬儀を終え、日之影から千葉へ戻る日のこと。
熊本空港へ向かう途中、阿蘇山のふもとで虹がかかっているのを見た。
母と虹_b0019674_03300181.jpg
うっすらとした儚い虹だった。
虹の橋を渡って遠くへ行く、というにはちょっと小さい。お母さん、まだ遠くには行ってないね。そんなことを話しながら帰途に就いた。

帰りの飛行機は全国的な強風や豪雨で、多くの空港で遅延や欠航が相次いでいた。

熊本空港でも16時20分発羽田行きが欠航になり、そのすぐあと16時30分発の私の乗る飛行機はどうなる!?と心配していたら、なんと出発が5分遅れるだけだった。10分違いだけでこの差!

「これはお母さんが空で見守ってくれたようだね」
「だね」
という感傷的な気持ちで乗り込んだ飛行機だったが…
 
 
 
 
 
ものすごく揺れた。
超揺れた。
揺れるたびに乗客の体が引っ張られグワングワンと左右に動くのは、まるでジェットコースターのようだった。
エアポケットに入り突然急降下したときは機内のあちこちで悲鳴も上がった。
今まで乗った飛行機の中で、一番の揺れだった。

千葉の家に帰ってきて早速姉に電話した。

私「今日のあの揺れは、お母さん、天国に行ってRちゃんとけんかしてる!と思ったわ」
姉「あはははは、まこっちゃが!(本当だね!)」

Rちゃんとは私のもう一人の姉で、赤星家の次女だ。2012年に58歳という若さで亡くなった。
あの時の母の悲しさ、苦しさはどれだけ深かっただろう…。
子供を亡くすという苦しみは何よりも強いという。今、母はようやくその苦しみから逃れられたのかもしれない。

だから、虹の橋を渡らず、その手前の空で娘とケンカしている母の図は、悲しい涙よりいい。こっちのほうが明るくて。

お母さん、上で元気にしちょってよ。そのうちみんな行くからね。

# by akaboshi_tamiko | 2020-01-30 18:00 | Trackback | Comments(1)

母と着物

先週の金曜日(1月24日)は母の告別式でした。

葬儀のとき、受付の奥には母の写真が何枚かパネルに貼って飾ってありました。

パネルに飾ってあるだけだと小さくてよく見えないのですが、それが祭壇横のスクリーンに大きく映し出されるのです。

母がつば広の帽子をちょっと斜に被った写真が大きく映し出されたときは、「あら~、キレイねえ」と言ってくださる人が続出!(私は葬儀社の修正技術に感嘆しました)

しかし、母は確かに若いころよりも年を取ってからのほうがきれいになっているように見えました。それは幸せな人生だったから、なのかもしれません。
母と着物_b0019674_23410531.jpg
私と姉はお通夜では黒いスーツでしたが、告別式の時は着物で出席しました。

姉は着付けのお免状を持っているのですが、若いころ、母に勧められて着付けを習ったのだそうです。

私はその姉に着付けを習おうと思いつつ、20年間一切習わずにいたのに、40代になったころ、母の若いころの着物をもらいました。
その着物が、私の着物元年。その着物を着たい!と思ってから、youtubeと雑誌で着付けを見て覚えたのです。
母と着物_b0019674_00545743.jpg
右が私で、母がくれた絽の着物を着ています。母が若いころ、父が買ってくれた着物だそうです。
そんなエピソードを聞いて、私はこれを自分で着られるようになりたい!と思ったのでした。

姉妹とも、母のおかげで着物が着られるようになったんだなあ…。

ケンカもしたし、うざいと思ったこともあったけれど、やはり母は私たちにとってかけがえのない人だったと思います。

働きづめだった母が一家をまとめてくれていた頃のことを姉が小学校の頃の作文に書いています。

# by akaboshi_tamiko | 2020-01-29 20:00 | Trackback | Comments(0)

母と指輪

2020年1月21日午前8時54分、母が93歳の生涯を閉じました。
昭和2年1月19日、戦前生まれですから、戦中、戦後、高度成長期、バブルを経験し、平成の半ばまでずっと働きづめで生きてきました。

日之影町で食料品店を営んでいた両親は、朝早くから夜遅くまで仕事をしていました。
母の手は働き者の手で、指が太く、入る指輪がありませんでした。もちろん宝石店でオーダーすれば着けられる指輪もあるのでしょうが、そういうぜいたく品を買う余裕もなく、母は指輪を身に着けないまま亡くなりました。

母に指輪をはめてあげたくて、私はフリーサイズの布製の指輪を持って帰りました。
母と指輪_b0019674_22522893.jpg
この指輪なら母の指にも入るし、布製なので棺に入れても燃えるし。
母と指輪_b0019674_22523786.jpg
私が千葉から日之影に着いたとき、母はすでに棺の中でした。本当は指にはめてあげたかったけれど、顔の周りに置いてあった花の上に置きました。

母はかわいいものが好きだったので、この指輪喜んでくれるかな…。

昔の人にしては背が高いことがコンプレックスで、仕事のしすぎで指が太く、痛みのあるコブができたのが恥ずかしいと言っていた母。
柔らかな布の指輪なら痛くないし、もっと早く上げればよかった…と、少し後悔しています。

# by akaboshi_tamiko | 2020-01-29 00:04 | ふるさと関連 | Trackback | Comments(2)