漫画家・赤星たみこの日記です。 

by akaboshi_tamiko
私には姉が二人いた。
一人はこのところずっと紹介している作文を書いた姉で、私の5歳上の公代だ。

もう一人は、私の3歳上の利枝(りえ)である。
50数年前の作文では、私や公代姉とよくケンカをしていることが書かれていた。
「かつえんぼう」とも言われていて、肉が大好きで食べることが大好きな姉だった。

その利枝のことを、公代姉が去年、こう書いている。

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二歳年下の妹 利枝は2012年58歳の若さで亡くなった。乳がんだった。

最初の入院の時(1996年)、乳がんは外科だからなんでも食べられると、旺盛な食欲をみせたり、腹筋を鍛えたり、なにかの資格試験の勉強をしていた。

最後は人工呼吸器をつけていたが、弱音ははかなかった。

三人姉妹で、子供の頃はよく喧嘩をしていた。何かを取ったとか、触ったとか、どうでもいいようなことで、ワアワア、ギャーギャー言っていたように思う。大人になって、それぞれに家庭を持って、落ち着いて話ができるようになった。その妹が一人欠けてしまった。もっと話したり、旅行したり、楽しいことがあったのになあ・・・と思う。

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利枝姉は私をよくいじめていた(きょうだいげんかの範疇で、他愛のないいじめではある)のだが、母がよく利枝に「やめちょきね! たみ子がおびえよる!」と叱っていたのを思い出す。


子供のころの3歳差は大きいので、私もおびえていたんだろうなあ。


数年前に「お月見」のテーマで短いコラムを頼まれ、私は利枝姉と月のことを書いた。それをちょっと引用しよう。


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月を見ながら歩くと月が自分と一緒に付いて来ます。小さなころはこれが不思議でしたが、3歳年上の姉に「月は途方もねえくらい遠くにあるから、ついてくるように見えるとよ」と教わりました。


多分、学校で習ったばかりだったのでしょう。ちょっと得意げな顔をしていました。「途方もないくらい遠い」という言い方を、私はそのとき初めて知りました。


お月見の頃はこのことを思い出します。私によく意地悪をしていた姉が珍しく優しかったこと、月が一緒に付いてきたこと、得意げな姉の顔。


その姉は4年前、長い闘病の末に亡くなりました。月よりももっと遠く、途方もなく遠い所へ行ってしまった姉。

ケンカばかりしていたけれど、月を見ると姉に会いたくなります。

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姉が亡くなってしばらくは、死んだ、とは思わなかった。いや、今も、「死んだ」とは思わず、簡単には会えないほど遠いところ、月よりももっと遠い、途方もなく遠いところへ行ってしまったのだな、と思う。


ねーちゃん、その途方もなく遠いところは、いいところじゃろか。



・・・・な~んてね、ちょっと感傷的になってしまった。

ほんとは、もっと衝撃的(笑撃的かも?)な話を書きたかったのだが。その話はまた明日。



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# by akaboshi_tamiko | 2018-07-23 00:40 | Trackback | Comments(0)
姉が50年以上前に書いた作文が、周りに大うけしてくれた。

実はこれ、去年の2月に、姉が自分のブログで発表していた。(写真なしで、誤字脱字を訂正した文章で)
やっぱりこの作文は、実際の古ぼけた原稿用紙と、誤字脱字をそのままにして載せるほうが味わい深い。

そして、姉はまたその続きをブログに書いている。

2017年 02月 21日

五歳年下の妹たみ子は、よく本を読む子だった。近所の本屋さんの常連(買うのではなく立ち読み)で、私達が立ち読みをしていると、おばあさんに追い払われていたが、妹は公認されていた。漫画をよく描いていた。何歳ごろだったかは覚えていないが、なかなか上手いなあと思ったことがある。


テレビドラマで「次郎物語」というのをやっていて、それを見ながら号泣していた。♪次郎 次郎 見てごらん 白鳥は 風に向かって 飛んでいく ♪というテーマソングと共に忘れられない。とても感受性の強い子供だった。

セーターやカーデガンを、ズボンの中に入れるというスタイルも、独特だった。特別の美的感覚と言うものがあったのだろうか。

英語はNHKの基礎英語で覚えたそうだ。テレビを録画して、毎日繰り返して見たそうだ。繰り返すということが大事なのだ。

それらのすべてが、現在の職業に繋がっているのだなと思う。


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これも懐かしい…。

私の生まれ育った日之影町は、宮崎県北部、西臼杵郡というほとんどが山、という地域にある小さな町だ。人口も少ない。


そんな中、西臼杵郡の文化を守る、という高い理想を掲げた本屋さんがある。高橋書店である。

私の実家のすぐ二軒となりにあった。


昭和の子供たちは書店で立ち読みをしては書店のおじちゃんおばちゃんにハタキで追い払われていたのだが、私は保育園を中退して時間があったので、いつも書店で立ち読みを繰り返していた。


まだ本当に小さかったので、おじちゃんの足の間をすり抜けるようにして隠れて読んでいた。

あまりのしつこさにあきれ果てたおじちゃんが、ある日「またお前か、お前ならもういいわ」と言ってくれたのだ。


私の親もお礼はしたのかしなかったのか、今となってはわからないが、本当に本当に、どんなに感謝してもしきれないくらいの恩をこの書店からいただいた。


たくさんの本を読み、漫画を読み、私が漫画家になれたのも、この高橋書店のおかげだと思っている。

ありがたくてありがたくて、いつも思い出すと涙が出る。あんな山の中の田舎の子が、東京の子供とほとんどタイムラグなしに「火の鳥」を読めたなんて…。


書店のおばちゃんが長いこと病床に就いていたとき、「私が漫画家になれたのはおばちゃんのおかげよ、ありがとう」と言ったら、おばちゃんは涙を流して喜んでくれた。


それから…

今も私の家族の語り草になっているのが「セーターやカーディガンを、ズボンの中に入れるというスタイル」だ。


当時の私には服装に関する独自のルールがあって、その一つが、「上に着ている服は必ずズボンやスカートに入れなければならない」というものだった。


それは、当時の少女漫画誌で見た絵に影響を受けたせいかもしれない。

当時の漫画やファッション雑誌では、必ずスカートの中にブラウスが入っていたのだ。それを見た私は、それが正しい、それ以外はダメ、と思い込んだのかもしれない。


また、衣類が上にずり上がると不愉快で、違和感があった。だからブラウスやセーターやカーディガンを必ずズボンの中に入れなければ気が済まなかった。


着心地や肌触りに関して、少しでも違和感があると癇癪をおこしていたのだが、そんなことで違和感を持つということが大人には伝わらず、ただ癇癪(とんきろ)を起こしているだけだと思われていた。


服装や持ち物、布団の上げ下ろしなど、生活全般に関して、私には独自のルールがあった。

そのルールから外れた違和感、不快感から、とんきろを起こしていたので、「勝手屋さん」と思われていた。うーん、違うのに!! と、今になって思う。


勝手屋さんじゃないんだよ、違和感・不快感を伝えるすべがなかっただけなんだよ! と、大人になって冷静に思うけれど、子供のころは生きにくかったなあ…。


姉の作文からいろいろ思い起こして、懐かしやら、しみじみするやら。


姉の作文は「まるで朝ドラ見てるみたいでした!」という感想もいただいたけど、そこも含めて、私と本屋さんとの関係とか、朝ドラ向きのエピソードかも。


いつか、私が漫画化したいなあ…




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# by akaboshi_tamiko | 2018-07-21 18:00 | ふるさと関連 | Trackback | Comments(0)
姉の作文もいよいよラスト。昭和の家族の暮らしぶりがよくわかるとおほめの言葉をいただいた。

昨日までの3回で、母、父、たみ子(赤星家三女)、利枝(次女)のことが描かれた部分を紹介した。

今日は公代(姉本人、長女)のパートになる。自分自身の悪い点を反省を込めて書き、次にいい点を述べる。そして最後に家族愛でまとめる。

これはまさに先生の指導のたまもの。アドバイスを素直に受け入れて、素直に書いているのだと思う。姉の特質の一つが「素直」「人を疑わない」というところがあるのだが、それがいい具合に表れている文章だと思う。

自分のいい点で、お手伝いをちゃんとしているところをちょっと誇らしげに書いているのがほほえましい。(ねーちゃん、偉そうな意見ですんません)

確かに姉は小学校5~6年生のころから料理をし、家事全般をよくやっていた。私は当時、保育園を中退し、いつもゴロゴロし、起きているときは近所の本屋さんに入り浸っていただけだったのに、姉はよくごはんを作っていた。えらいなあ、昭和の子供は…。

最後に家族愛のことばで締めてあり、赤ペンの講評がちょっと泣かせるのだ…。


わたしの家族4
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 さてこのようにして家族の一員としての自分はどうだろうと はんせいをかねて考えてみた。
 わたしの欠点はすこしなまけやさんということだ。気がむけば なんでも、いわれないうちにするのに、自分でしようと思わないことはするきがしないのだ。

 よい点は気のむいたことを、いわれないうちにすることと 自分のもののせんたくや かたずけをすることだ。しょうらいのゆめを、二十以上ももっているわたしだが おとなになって どれになろうかまよってしまう。

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 わたしはさすがに、長女だけあって、うちのことをだいぶ 手つだっている。六年もまえからきて、てつだってくれていたねえちゃんがおよめにいったので、その間 てつだいをしなければ ならなかった。時どき、母のかわりに夕はんを作るが、とくいな料理は、ライスカレー サラダ 魚のにつけ みそしる チキンライス やきめし なんでもしてしまう。

 わたしも妹のタミ子に まけない本ずきだが 読む間がなくてざんねんだ。
 いまの所とてもいそがしいので 夜のくるのが早く思われる。もうすこし 自由な、時間がほしい。
 だが、やはりわたしのやるべきことは、しなければならないのだがいやいやするのでなくすきでやるのだから あまりきついとは、思わない。
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 いそがしいことは きついけれど楽しいことだ。父も母も そう思っているだろう。

 わたしの家族は、ひじょうに 楽しく みんなが助けあっているので幸福である。
 これから、わたしたちが せい長しこの家族とわかれ 働きにいくかもしれない。そんなことがあってもけっしてわすれられないだろう。

講評
三十八年度 西臼杵郡文化祭 特選おめでとう。
◎赤星さんが日頃家族のことをよく見、よく協力していること、また、思ったこと、考えたことを書いていく態度が実を結んだのだと思います。
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いやいや、なかなか読ませる作文だった。
講評が、赤インクのつけペンで書いてある。その文字が美しくて、昔の先生の字はきれいだったなあ…と思う。

姉は、身内の私が言うのもなんだが、文才があった。そのままのばせば、私よりも先にプロになったのかもしれない。
ただ、素直すぎて批評精神が少なかった、、、などと偉そうに言うけれど、のちに漫画家になった私と、姉との違いは、素直ではない私と、素直すぎる姉、の違いだったように思う。

姉は自分でも言っているが、気が向かないことはなかなかやらない。
気が向いたことはすぐやる。
まあ、それ、普通のことではあるのだが。

「気が向かないことはなかなかやらない」というのが、これまた50年以上経っても全く同じ。本当に、気が向かないことはまったくやらないのだ。

例えば眉毛の手入れとか。眉毛の手入れくらいやりなよ、と言うと、できない理由を次から次に出してきて、やらない。
新しいレシピをもらったらやってみる、というのはすぐにやるくせに、眉毛を手入れしない理由なら何十個も出してきてやらない。変わった人である。

ねーちゃんの性格を表すのにぴったりな言葉「ずそご」(または「ずぅそご」)というのは、面倒臭がり屋という意味だ。
好きなことはさっさと取り組むのに、ちょっとでも気が向かないことは徹底的にやらない。やればいいじゃん、と勧めても、持ち前の文才で「やらない言い訳」を延々と語り、やらない。ほんとに、そういう点にかけては「ずぅそご」だ。

さて、4回に分けてご紹介した作文だが、私のFBの友達はみんな感動して読んでくれた。ありがたい。
家族のありようとか、昔の暮らしとか、何かちょっとでも心に残ってくれたら嬉しいです。


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# by akaboshi_tamiko | 2018-07-20 18:07 | ふるさと関連 | Trackback | Comments(2)
姉が小学生のころに書いた作文がとても好評だ。
じっくりと家族を観察し、なんの忖度もせず、思ったこと、聞いたことをズバリ書いているだけ。子供って大人の言葉をよくきいているんだよなあ…。

しかし、これがすごい。子供の文章で一番面白いのは、聞いたことをそのまま書いたり、思ったことをそのまま書くところだ。

さて、今日はいよいよ姉が私を描写した部分だ。そうだ、こんな子供だったよ、私は…。そして、それは大人たちが私のことをそう言っていたのを姉が聞いていたのだ。

そのあとに、もう一人の姉の話も出てくる。これも我が家では大うけした描写だ。ねーちゃん、すごいよ。(どっちの姉も、ね)


わたしの家族3
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 次に わがやのいちばんのきかんぼうである 末子のたみ子のことを考えた。すこしおしゃれで、自分の気に入った服しかきない。
「これとこれは、にあわない」といってだだをこねる。本がすきで、小学二、三年の本をぺらぺら読んで一さつの本を一時間ぐらいで読んでしまう。

 ときどき自分でおはなしを作ったり まんがをかいたりして、おとなの人をおどろかせる。
 いったい おとなになってなにになるのかわからない。わたしの考えでは、おしゃれでかってきままなおとなになりそうで少し心配だ。

 せいしつはかってやさんで 少女の週刊誌をかってくると「わたしが一よ。」といってジャンケンでまけても「わたしよ わたしよ。」といってさきによんでしまう。よませないとかみついたりする。こんなあらっぽいせいしつである。
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 すこし こましゃくれで 母が食ごのくだものをもってくると、「おっ きまえいいぞ」といって わたしたちをわらわせる。

 この妹にたいして わたしのすぐ下の妹の利枝(りえ)は 少しちがっている。
 三年生でみかけは 目がくりくりして とてもかわいく 先生の前や人のまえでは ふつうのていねいなことばをつかう。だからせいしつをしらない人がみると、かわいくりこうそうにみえるだろうが せいしつはまるで正はんたい。もし勉強しているときわたしがちょっとでうたったりすると、ヒステリーをおこして「いーだまっちょけ。」とおこる。

 肉が大こうぶつで 人の肉までほしがる。あそびからかえると「あーひもじい あーひもじい。」といってかつえる。かつえんぼうである。また末子のたみ子のよいあそびあいてである。わたしが、つごうであそんでやれない時は、よく遊んでやっている。
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 わからない宿題を、親切に おしえてやると「ちがわーい。」といって ヒステリーをおこしてしまうこんなせいしつだ。
 いちばんこまるのは、わたしにけんかをしかけてくることだ。もしわたしがポンとかたをたたいてあやまると それでは、すまんといってたたきかえす。これがけんかのもとになることが多い。

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このページの後半は姉が自分自身について語っているのだが、それは明日。

私は「すこしおしゃれで自分の気に入った服しかきない」というのは、ちょっと違うのだ。私にはものすごいこだわり癖があり、自分で決めたルールからずれると気持ちが悪く、それ以外のことはできなかったのだ。

この服は襟元がチクチクするからこの下にこれを着なければならない、と言いたいのだが、それを言葉で表現できなかったりして、とにかくカンシャクを起こしていた。(日之影の方言では「とんきろを起こす」という)

それから…確かに、かみつき癖があった。
自分のルールから外れるとカンシャクを起こしていたから、「きかんぼう」とか「かってやさん」と呼ばれていた。本を買って来たら最初に読まねばならなかったのに、それを理解してもらえなくて噛みついていた。

ルールに基づいた独自のファッションセンスもあったが、それは長くなるのでまたあとで。

そして利枝姉の「かつえんぼう」。これはもう、読んだ瞬間に大笑い。確かに、ねーちゃんはかつえんぼうだった!

「かつえる」は漢字で「飢える」と書く。飢餓状態のことだ。おなかがすいて、空腹になって、飢えていることが「かつえる」だ。そして、いつもかつえている子のことを、「かつえんぼう」と、私の家では言っていたのだ。
(「~~ぼう」は、「~~坊」のこと。主に子供のことをさす)

まあ、子供の私を表現するのに、一番ぴったりなのが「きかんぼう」だろうし、利枝姉を表現するのに「かつえんぼう」はかなり当たっていると思う。

実は、この作文を書いた姉(公代)に関しては、ひとつぴったりな表現がある。「ずそご」とか「ずぅそご」というものだが、これは完全な日之影の方言。これがわかる人はかなりの日之影弁の使い手だ。
(意味はこの作文シリーズの最後に説明します。お楽しみに~!)



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# by akaboshi_tamiko | 2018-07-19 18:00 | ふるさと関連 | Trackback | Comments(0)
昭和40年代の地方の暮らしが、垣間見える姉の作文。

日之影町は宮崎県北部の中山間地域にある小さな町だ。今でこそ過疎の町となり、人口も4千人を切ってしまった。しかし、昭和の中期以前はまだ人口も1万6千人以上もいた。昨日紹介した姉の作文を読むと、当時は町も、両親が営む食料品店も、にぎわっていたことがうかがえる。

文体は硬く、おそらく先生の指導の通りの書き方をしているのだろう。最近の小学生の作文を読むと、もっと口語体を使って、ライトな仕上がりになっているものが多い。

口語体を多用したライトな仕上がりの作文は、こなれた感じがする。一読すると子供らしい印象がある。しかし、硬い文章のほうが練られていない分、実は子供らしい、と思う。リアルな子供の文章は、地の文が口語体にはならない。そこへカギかっこをつけて会話を入れると、文章が生き生きしてくる。

文章は敬体、常体を統一しましょう。何を話したのか、カギかっこで会話を入れましょう。しぐさや動作も書きましょう。というような、先生の指導が思い浮かぶ姉の作文である。
(前回分はこちら→わたしの家族1)  

わたしの家族2
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こういういそがし母も ほがらかでやさしく てきとうにきびしい。だから わたしたち一家をうまくまとめている。
 自分のせいが高いので、わたしのせいが日ましに高くなるのをみて、「そんなに高くなるとおかしいよ。」という また わたしが学校へ行く時頭をうまくゆっていないと、「はいピン もっとうまくゆえんとね。」といって自分であたまに していたピンをはずしながらいう。こんな母であるので わたしの成長に気をくばる。
 わたしがたのみもしないのに 新しい服をつくってくれる。こんな母は大すきである。

 今の顔とむかしのしゃしんをくらべると 今の顔のほうが明るくけんこうそうであるが しゃしんの顔は しずんだようでわらったことのないような そんな顔をしている。
 母がなんといっても いちばんおこるのは夜あそびと、きょうだいげんかの時である。これから、気をつけなくては、母のかおにおこったしわがふえてしまう。
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 次に父であるが
 私の父は、五年ほど前に 入いん生活をしたことがあるので 体がよわく 力しごとやむりなことがあまりできない。それで 店の小さいことは、いっさい母にまかせ 遠くや近くのはいたつ ちょうぼがおもな仕事である 父はよそのお父さんにくらべ大変やさしい。でも やっぱりおこるとこわい。

 いつもせなかをまげて 外またであるくので ずんぐりしてるようだが お客さんにおもしろいことをいってわらわせたり、ときには小さい子にはあめやみかんをやったりする。
 わたしや妹の 宿題でわからにことは、やさしい方法でおしえてくれる 国語の漢字で、わからないことをきくと、「ふうん 今は、こうやってかくのか むかしはこうやってかいたんだ。」とたばこを口にくわえながらえんぴつをとって紙にかきながら教えてくれるよい父である。わたしは、こんな父が大すきだ。
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時には、自分で料理を作って 食べさせてくれる。父の料理を、「うまい。」というと、母が「そりゃうまいよ。わたしよりざい料をたくさんつかうもの。」という。もちろん、母の料理もうまい。

 父には二つ いけないくせがある。それはやく場で ごはんもたべずに 碁をうっていることである。それを母はひどくしんぱいしている。

 それともう一つは 店じまいをしたあと、おそくまでパチンコをしていることだ。パチンコ屋の空気はあまりよくないし それに父は、病気からようやくぬけだした体だ。また、いつわるくなるやらわからない。どれもこれも

やめてくれ、やめてくれといったら、父のいこいがなくなってしまうから、かげんしてするように すべきである。

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うう、懐かしい…。父は確かにたばこを口にくわえながら、私にも算数や漢字の書き取りを教えてくれた。そして、歩き方も外股で歩いていた。そして囲碁が大好きだった。

毎晩、毎晩、店じまいをするとふっといなくなる。パチンコ屋に1時間ほど行って、靴下やキャラメルやチョコレートをもってかえってきた。(パチンコの景品のお菓子はうちで売ってるものよりちょっとおしゃれなものだったから、うれしかったな)

それに、母も姉に服を作っていたんだなあ…。あのころはどこの家にもミシンがあって、簡単な衣服ならその家の主婦が縫っていたし。そんな暮らしぶりが、懐かしくもあたたかく胸に迫ってくる。

さて、明日はいよいよ、末っ子の私を描写したシーンをご紹介。
この描写は、家族で読み返して大笑いした部分だ。

ちょっと思わせぶりではあるが、明日、またよろしく~。

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# by akaboshi_tamiko | 2018-07-18 18:14 | ふるさと関連 | Trackback | Comments(0)